2002年(前半)

青い夢の女

J=J・ベネックスの7年ぶりの新作。
精神分析医が患者の話を聞いているうちに寝てしまい、目がさめるとその女は死体になっていたのであった…
死体を持って右往左往する様は、ブラックコメディの線を狙っているんだろうけど、ぜーんぜん笑えない。
周りの登場人物も思わせぶりなんだけど、結局思わせただけ。
しかもあんな謎ときってありかよ…………
J=ユーグ・アングラードも精彩ないし。




バニラ・スカイ

原典の「オープン・ユア・アイズ」は未見。
観終わった後は「ループ」(リング3部作の最後ね)を読んだ時のようなトホホ感が…
しかも、映写機の故障のせいで30分以上中断されたうえ、途中数分飛ばされたために2度も見に行くはめに…
トムからの5つの質問も気になったんだけど、正直そうやって、何度も何度も観客に確認を強いるような映画は少々食傷ぎみ。
(「メメント」をベストに入れなかったのも同じ理由)
ただ、さすがにキャメロン・クロウ。この題材でもしっかり青春物としても見られるように仕上がってはいる。
でもさ〜、私が男だったら絶対キャメロン・ディアスの方がイイと思うし。
ジェイソン・リーの方がイイ男に見えちゃうんだけどなぁ。
それにしても、ぺネロぺもバンデラスもラテン系の俳優は、ハリウッドに来るととたんに輝きが失せていくのはなぜなんだろう。

追記:ビデオで「オープン・ユア・アイズ」を観ました。

   そっちの方がダークな感じで断然好き。



みんなのしあわせ

「どつかれてアンダルシア(仮)」というナイスなタイトルで一部の人に受けていたアレックス・デ・ラ・イグレシア監督の新作。
今回は独居老人が残した大金をめぐって、アパートの住人と不動産屋のおばちゃんが血みどろ(文字どおり)の争いを繰り広げる。
前作もそうだったけど、かなりエグい話と映像が満載の割には、観おわったあとはなぜか爽やかな気分になるのですよ、これが。
ソウル・バス風のタイトルバックに始まってダー○・ベイダーが登場したり、マ○リックスのパロディがあったりとアメリカ映画の影響も顕著なんだけど、それもよくこなれているので、違和感はなし。
主演の女優さんどこかで見たなぁと思っていたらアルモドヴァル映画の常連さんらしい。
一流女優らしからぬ体をはった熱演が素晴らしいっす。




息子の部屋

まさかナンニ・モレッティの作品を丸ノ内ピカデリーで観るようになるとは!
と偉そうに言っても「親愛なる日記」ぐらいしか観てないんですが。
息子を失った家族の再生の物語…と聞けばもう泣ける映画でしょと思うと肩透かしを食らうかもしれない。

監督は、意図的にドラマチックになるのを避けている。
「最愛の人が死んだ日にも人は飯を食う」とは山田風太郎の名言だけど、まさにそういう風に日常が続いていく様子を淡々と捉えていく。
それでいて、この家族がそれぞれに悲しみによって追い込まれていくのが、ひしひしと伝わってくるのだ。

特に父親は、事故のあった日に自分が往診に行かず息子と出かけていれば…
という思いから抜け出す事が出来ない。
ある患者が精神分析医の父親に言う「今日はとても気分がいいんです。今までは泣けなかったのに、泣く事ができるようになったから」
聞いている父親の方は、まさに泣けない状態にいるのに。

いうなればこれは、いかにして泣く事ができるようになるのか、という過程を描いているといってもいいかもしれない。
きっかけはある日、息子とキャンプで知り合ったという娘から手紙が届いたことだ。
家族はまったく知らなかった事だった。
父親はその娘に息子の死を知らせる手紙を書こうとするが、結局書けない。
自分は息子の事をよく知っていると思っていたのに、そうではなかった事に動揺してしまったのだろう。
結局、母親からの電話で死を知らされたその娘が訪ねてくる。
その子から見せられた写真には家族の見たことの無い表情の息子が写っていた…
特別な事は起こらない。感情を洗い流すようなカタルシスも存在しない。
最後に至ってやっと、家族は悲しみを受け入れる事ができるようになる。
抱き合ったりせず、それでいてお互いの存在を噛みしめているかのようなラストのシーンは美しい。
とても静かな、だけど、心の中にぽっと火が灯っていつまでも
消えないような、そんな映画だ。

 

罪と罰/白夜のラスコーリニコフ

正直に白状しますが、ドストエフスキーの原作は読んだ事がありません。
ので原作と比較してどうこうってのは言えないので、あしからず。
カウリスマキはドストエフスキーを処女作に選んだ理由を「ヒッチコックが彼の小説を映画化するのは難しすぎるといったのであえてデビュー作にしようとした。フィンランドで映画を撮るのは大変な事だし、自分の能力も未知数だから、どうせ失敗するなら高い所から
落ちた方がマシだと思った」と語っていますが、高い所から落ちるなんてとんでもありません。
もう既に、彼のスタイルがほぼ確立されているのには驚きです。
少ない台詞(それでもこの作品は多い方ですが)、簡潔な描写、抑制された演技といったものが、この「理由なき殺人者」の物語を語る効果をあげています。

 

カラマリ・ユニオン

「諸君、このスラム街で貧困や人々の罵声を聞きながら暮らすのはもう沢山だ。町の向こうには「エイラ」という理想郷があるのだ。みんなでそこを目指そうではないか」
と‘カラマリ・ユニオン’(イカスミ同盟)に所属する15人のフランクたちはエイラを目指し出立する…
カウリスマキの初期の作品にはこの‘ここではない何処か’を目指す物語が多いのですが、その原型とも言える作品でしょう。
前作のハードボイルドさはちょっと影をひそめて、こちらにはオフビートな笑いが満ちています。たぶんこちらの方が取っ付きやすいかも。
彼等は他のカウリスマキの登場人物と同じく「心の中ではいろいろと考えているのだが、言葉や表情に出さないので、唐突に行動しているように見える」人たちなので、場面や話がいきなり飛びます。
その結果、彼等が一体どこにいるのやら、どのくらいの時間が経っているかも皆目見当がつかなくなり(全員フランクだし)自分まで彼等の混迷を味わわされるような気持ちになって来ます。
最後まで辿り着くフランクの1人を、カウリスマキ作品には欠かせない役者であった、マッティ・ぺロンパー(95年没)が演じています。
どこからどう見ても立派なオヤジですが、この時まだ34才です。
前作で冷酷な青年を演じた、マルック・トイッカはどう見てもデ・ニーロかぶれでブロークンな英語しか話さない男(彼の役名だけフランクではなくペッカという)を演じて「Are you token to me?」まで披露してくれるし、後のレニングラード・カウボーイズ(この映画にもメンバーが何人か出演)を思わせるようなバンド演奏まで披露され、ファンには見逃せない1本でしょう。

 

フロム・ヘル

19世紀末ロンドン、切り裂きジャックを題材に、ジョニー・デップがジャックを追う捜査官を演じ、ヘザー・グラハム演じる美しい娼婦と恋に落ちる…
とくれば、どうしても似たような設定の「スリーピー・ホロウ」を思い起こさざるを得ませんが、ティム・バートンとしては平凡な出来であるあの作品と比べても、かなり見劣りする印象は否めません。

この映画に決定的に欠けているものは‘闇’であります。
社会の闇、精神の闇、それらを描くにはこの兄弟監督の精神は健康的過ぎるのでしょう。
画面を暗くしたからと言って、闇や恐怖を描けるわけではありません。
猟奇的なシーンをこれ見よがしにしないところには、センスを感じますが。
アヘン中毒で、予知夢を見ると言うジョニーデップの役の設定があまり活かされているとは言えず、ヘザー・グラハムも、娼婦にしては綺麗すぎて、陰影に欠けます。
それよりもなによりも、犯人の造型がかなりお座なりだというのが困ったものです。
彼が当初の目的を外れて、しだいに行為そのものに喜びを見い出していく様子とか、狂気に落ちていく過程をもう少し造り込んでいけば、もっと面白いものになったのに…
後、キャスティングで犯人が分かってしまうのもどうにかならないのでしょうか?
もっとも、ほとんどの紹介記事はネタを割ってしまっていますが。
(目新しい謎ときではないと言っても、知らない人だっているわけだし)
いろいろと文句を並べましたが、ジョニー・デップは文句なしのはまり役だし、助手を演じたロビー・コルトレーンの演技も素晴らしいので、ファンなら見ても損はしないでしょう。

 

アモーレス・ペロス

私がラテン系の人々に心惹かれるのは、たぶん、自分にはない‘濃さ’のせいだ。
顔はもちろんだけど、人生を楽しむ事も、愛する事も、そして人を憎む事でさえ。
最も、当の人々が聞いたなら、ラテンなんて言葉でひとくくりにされるのは迷惑だ、と言うだろうが。

この映画で描かれる、愛と暴力と裏切りそして、希望へと至る道のりも熱く、激しい。
一つの交通事故、それを引き起こした若者、巻き込まれた被害者とその目撃者。
三者三様の物語が、少しずつ時制を前後させながら綴られる。
語られるのは、いずれも「報われない愛」「壊れてしまった愛」の物語である。
「この世で最高の幸せは誰かを愛し、その人から愛される事」
なのだろうけれど、いつもいつも、それが叶うとは限らない。
いや、叶わない事の方が多いのだ。
タイトルの「アモーレス・ペロス」とは「犬のような愛」と言う意味だそうだけど、その犬は、飼い犬ではなくて、野良犬だろう。
がつがつと愛を貪らずにいられない人間の悲しさを、描きながらも決して重くならず、疾走感を持たせて描き切った監督の力量は見事である。
やはり‘傑作!見るべし。’と言う他はない。


余談:この映画で兄嫁に恋する青年を演じたガエル・ガルシア・ベルナルはと〜〜〜ってもキュートよ。

追記:現在(2004年)のガエル君の活躍ぶりは皆様ご存知のとおり。

 

オーシャンズ11

この前から、ミニシアター系ばっかり書いているので、私はハリウッド映画が嫌いなんじゃないか?と思っている人がいるかもしれませんが、まったくそんな事はありません。

今回は王道中の王道「オーシャンズ11」。もう、待ってました!本当に。
何しろ私のジョージ(イタい?)と、今乗りに乗っているS・ソダーバーグという「アウト・オブ・サイト」のコンビが再び組んだとなれば、期待するなって方が無理ってものです。
元になった方の「オーシャンと11人の仲間」は昔テレビで見ました。
あまりよく覚えてないですが、芸達者をそろえた割には、けっこうゆるい感じの映画だったような。

で、今回はどうなったかというと…
ゆるい脚本を相手に、ソダバーグはよく健闘したと言えるでしょう。
出演者も最近のスター共演と言えば、やれお互いに一度も顔をあわせなかっただの、一緒のシーンは一つだけだの、我の強いスターを監督が操縦しかねて空中分解した映画と比べればよくまとまっていて、これぞハリウッドと言う感じがします。

しかし、私が思うには、元の映画にはこだわらないというのなら、J・ロバーツの役を思いきってカットして、仲間集めとキャラの描き分け、肝心の金庫破りのところに専念すればもっと良かったのでは?
どう見てもこの映画のジュリアはジョージとA・ガルシアが奪り合う程ゴージャスな美女には見えないし。

良かったのは、カール・ライナー(ロブ・ライナーのお父さんね)と、エリオット・グールドのベテラン二人が余裕綽々の演技を見せてくれる事。
ソダバーグらしい、クールな画面も観られるし、なんと言っても、ジョージ・クルーニーはと〜〜〜〜っても、格好いい!!

いろいろ文句つけたくなるのも確かだけど、久々の娯楽大作だし、まあ、いいじゃないの。
え、ブラピ?そう言えば出てたっけ。

 

プリティ・プリンセス

 「プリティ・ウーマン」「プリティ・ブライド」に続くプリティシリーズ第3弾!という100人いたら100人が「おい!」とつっ込むであろうキャッチの「プリティ・プリンセス」ですが…

う〜ん、いかにもディズニーという感じの少女マンガのようなお話で、良くも悪くも毒がない。そこが一般受けしているところなのでしょうが…
主役の女の子は、顔の造作のパーツが一つ一つでっかくて、その点はジュリア・ロバーツに似てないこともない。
私には、あんまり魅力が良く分からん顔なのでした。

この映画の中で、私の印象に残ったのは、主人公の親友役の女優です。
彼女の名は、ヘザー・マタラツォ。
トッド・ソロンズの「ウェルカム・ドールハウス」という悲惨な映画でブスの虐められっ子を演じていた彼女は19才になって美しく変身……
というわけにはいかず、まあ、それなりに成長していました。
 
で、今回もブスの虐められっ子だったりします…
主人公のミアは、プリンセスになって今の状況から抜けだせるけど、リリーの方は、そのまま学校に残らなきゃならない。
それでも、ミアに対しては自立を促すような助言をしたりして、泣かせます。
自分は決して主役になり得ないと知っているかのような、悲哀をただよわせた彼女の存在がこの映画の唯一リアルな部分でしょうか。
私は彼女に、慎んで「女スティーブ・ブシェミ」の称号を捧げたいと思います。

 

エネミー・ライン


※はじめに
この映画を楽しみにしている人は読まない方が賢明かと…


さあ、断ったから遠慮なく言うわ!
今回だけはネタばれも無視するからね。
最近のハリウッド映画の悪いところが全部出たような作品。
やたらチャカチャカ動き回るカメラ、目まぐるしいカット割り、 CGを見せるためだけに作られたシーン、めちゃくちゃな脚本。
これだけ揃ってて駄作にならないわけがない。

主役のバカがわざわざ命令を無視して、停戦破りの証拠を掴んでしまう…
というところまではまあ良しとしよう。
そのために敵に撃ち落とされるんだけど、そのシーンが無駄に長い!
TVゲームのようなミサイルと戦闘機の追っかけっこを延々見せられてまずうんざり。

しかも、爆発シーンのCGは妙にちゃちい。

そこから敵地での逃亡が始まるんだけど、ハッキリいって主役のバカはなにもしない。

ただ運が良いだけ。
だだっ広い平地に負傷した同僚がいるのに、物陰に隠そうともしないでそのまま置いてっちゃったり(案の定見つかって殺される)
追われてるってのに、見通しのいい崖のてっぺんで休息したり、もう、兵士失格!
数十人に一斉射撃を受けてるのに、弾はかすりもしない、つまづいて転んだら、虐殺された住民の遺体のど真ん中だったり、地雷原は御親切にも糸が張ってあってここだよ〜と教えてくれる。
たまたま通りかかった車は親米派の車だし。
RPGだってこんなにひどくはないはず。
敵の描き方についてなんて、なにをか言わんや。

手持ちカメラ、スローモーション、すべてが映画を魅せるものとして機能せず、監督の自己満足に終わっている。
ジーン・ハックマンもなんでこんな映画に…ステロタイプな役で意味無し。

結局主役のバカの兵士としての成長のあとも見られないまま、御都合主義で映画は終わるのだった…ああ…。

1時間45分がこんなに長く感じられたことはなかった…

ここまで書いてきて、主役のオーエン・ウィルソン(鼻が嫌〜)が「天才マックスの世界」の脚本家でもあることを知ってしまった…
頼むから、脚本だけ書いててくれ。

追記:オーウェン・ウィルソンに関してはその後180度評価が変わることになりますが、それはまた別の話

    ってことで

 

マルホランドドライブ

「ストレイト・ストーリー」であっちの世界に行ってしまったかと思われたデビット・リンチが、やっぱり自分の世界に戻って放った、エロ(たっぷり)・グロ(少々)・ナンセンス(?!)の世界。

テレビをつけたままうとうとしてしまって、もうろうとした意識の中でどこまでが実際に見ていたことなのか、どこからが夢なのか…なんて経験は誰にでもあるんじゃないかと思いますが、この映画は覚醒した状態でそんな感じに陥いりました。

なんだか良く解らない…てのが正直なところなんですが、不思議と後をひく映画です。
もう観てから数日経っているんですけど、時々映像がフラッシュバックしてくるんですわ。あと、音楽とか。
うう〜む、やっぱりもう一回見に行くか…て、嵌まってる?

ABCアフリカ

NGO機関の依頼で撮られたドキュメンタリー。
アフリカの風景や、子供達の表情は印象に残るものの、キアロスタミがこれを撮る必然て?と思ってしまう。
ビデオの映像もどうも馴染めず。でも監督はこの時の体験が気に入ってもうフィルムは使わないかもと言っているらしいので鬱になる。

 

カンダハール

とても政治的であると同時に、映画的でもあると言う希有な作品。
この映画が印象に残るのは、アフガン問題を扱っているからではなく、詩的でシュールでエロティックな美しい映像によるものだ。
その映像を思い出す度、アフガンの忘れられた人々のことを思わずにいられない。

 

地獄の黙示録/特別完全版

 この映画を始めて観たのは子供の頃のことで、その時にはなんだかわけが分からん!

という感じでした。
その後大人になって見返して、いろいろ読んだりとかして今は一応理解している…つもり。
 今回「公開当時、あれ程高い理解力を要求し、奇妙で、事件的だったその映画は今となってみると観客がそのレベルに追い付いてしまったように思えた。」(eiga.comより)と言うことで再編集されたその作品は以前よりももっと分かりやすくなってました。
 わかりやすくした分、前半のテンションの高さが後半になって失速してしまうのはどうなんでしょうねぇ。
解りにくさが迷宮っぽい感じを表していて良いと思っていたのですが。
ただ、ヘリコプターのシーンはやはり何度見てもすばらしいです。
 まあ、アメリカの正義なんてものが如何にインチキ臭いものか、現実世界でたっぷり見てしまったあとにこの映画を見ると、やはりあの時期こういう視点を持っていたというだけでも評価されるべき。
でもベトナム人の描き方はやっぱり…
今回新たに加わったプレイメイトやフランス農園のシーンはなくてもよかったのでは?
(「ベトコンはアメリカが造ったものだ」なんて台詞にはどっきりしますが)
そのせいで後半のだらだら感がよけい増している気がします。
コッポラはこちらが決定版なので、以前のはもう破棄すると言ってるようですが、希望としては両方のバージョンを残しておいてもらいたいです。

 

モンスターズ・インク

 私が始めて観た映画は「メリー・ポピンズ」でした。(初公開時ではないので誤解しないように)
ストーリーはよく解らなかったはずですが、楽しい歌と踊りで幼い私は楽しかった記憶があります。
うちの親は映画好きではなかったので、普通の映画を親につれられて観たことは、全然と言っていい程ないのですが、ディズニー映画だけはせがんで連れていってもらってました。
 ディズニー映画の魅力はシンプルで楽しいお話、楽しい歌、かわいいキャラクターといったところでしょうか。
 それがだんだん変わって来てしまったのはいつ頃からだったのでしょう。
あなたはここ何年かのディズニーのアニメ作品を思い出せますか?
私は思い出せませんでした。「ライオン・キング」と「アトランティス」以外は。
この2本をなんで思い出せたかといえばパクリ騒動があったからです。
「白雪姫」や「ダンボ」はこの先50年経っても愛されているでしょうが、最近の作品は50年経ったら資料の上でしか残っていないでしょう。
 ピクサー社はディズニーの子会社です。この2社の関係がどういうものなのか業界に疎い私には解らないんですが、今、正しくディズニーの精神を引き継いでいるのがどっちかといえば、間違いなくピクサー社の方です。
 「モンスターズ・インク」は大変正しい娯楽映画です。
シンプルで楽しいお話、魅力的なキャラクター、笑って、ハラハラドキドキがあって最後にちょっとホロっとさせる。(お恥ずかしい話ですが泣きました、実は泣き虫なのよ)
これを揃えるのは簡単なように見えて実はとても難しいことなのです。
 ちょっと大人の見方をすれば、このお話は本家ディズニー批判を孕んでいると言えなくもありません。
本来の業務を忘れ、金もうけ主義に走り、安易なパクリをくり返す、そんな会社に未来はないよ、と言っているようにも見えます。
 ですが、そんなこ難しい理屈は抜きにして純粋にこの映画を楽しもうではありませんか。
もし、春休みお子さんに何か観につれていってとせがまれたなら、迷わず
この作品をお勧めします。
吹き替えが爆笑問題なのは不安ですが…(太田は映画好きのくせに断らなかったわけ?)
 それにしても、最近のCG技術って凄いわ。サリーの毛の動きとかが観ていて気にならないくらいに自然なのよ。
人間の子が不自然じゃない(かわいい)のも、技術の進歩ね。
もっとも、2歳ぐらいってまだ人間と言うより動物に近いんだけどさ。
本編の前にある短編も単純だけど面白いです。
後NG集は必見ね。(アニメにNGはあり得ないのでわざわざ創ってる)


ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

 私は化粧するのが好きです。
眉書いて、アイシャドウ塗って、アイライナーを引き、チークに口紅、最後にビューラーでまつげをくるっとカールさせてマスカラを塗って、ああ、今日も顔が出来たわ!てなもんです。
化粧は身だしなみ?きれいになりたいから?もちろんそうですが、自分に気合いを入れる為というのも多分にあります。
だって、嫌なことがあった時には妙に眉が鋭角的になったりしませんか?
 なぜこんなことを書くかと言えば、この映画のある歌が耳に残って離れないからです。
「なんだか上手くいかない日、トレーラー村にも陽が落ちてくる 今にも気がくるいそう…だけどメイクアップして、カツラをつければ、ほら、私はミス中西部…」(Wig in a box)
 
 けばけばしい衣装やメイク、かつらに身を固めて場末のダイナーで歌うヘドウィグの姿に初めはちょっと引いてしまいます。
 でもこの曲を聞いた瞬間、なんだか狂おしい程の切なさが胸に押し寄せて来て、彼女のことが好きになってしまいました。
 彼女は自分の運命を嘆いてめそめそしたりしないし、諦めたりもしません。

ただひたすら目的に向かって突き進みます。
この場合は自分の曲を盗んだ恋人からそれを取り戻すこと。
ヘドウィグの怒り、悲しみが歌を通して伝わって来て、派手な化粧も、かつらもその戦いのための鎧のように見えて来ます。
歌を取り戻したいのはそれが自分の一部だから、自分を取り戻すために彼女は戦い続けているのです。
「自分さがし」なんて安っぽい女性誌の見出しみたいですが、この映画の場合はもっと痛切で切実に感じます。
彼女が身にまとった鎧をはずし自分を見つける時、様々な悲しみや怒りをしたたかに乗り越えた果ての幸福感がそこにはありました。 
 ヘドウィグを演じる、この映画の監督でもあるジョン・キャメロン・ミッチェルの演技がすばらしく、ふとした時に見せる表情、ユーモア、歌唱力でともすれば見せ物っぽくなりがちなこの役に血を通わせています。

 

ロード・オブ・ザ・リング 第一部 旅の仲間

 あのピーター・ジャクソンが「指輪物語」を映画化するらしい!
と聞いた2年前からず〜っと観たいと熱望していたその映画がとうとうやって来ました。
日本の配給会社の悪しき慣習によりタイトルを「ロード・オブ・ザ・リング」と改めて。

リングは複数形なんだけどね…
 いやはや、期待は裏切られませんでした。
原作の挿し絵画家をスタッフに迎えて造り上げられた中つ国の素晴らしいこと!
丘を作りそこへ草木を植える所から始めたというホビット庄も、裂け谷もロスロリアンも、まさに見たことの無い世界が造り上げられています。
 そして、原作の雰囲気を壊すこと無く、長〜い物語を見事にまとめあげた脚本も素晴らしい…がっ!字幕版ではそれが全然伝わらないのが口惜しいわ。
私は字幕版と吹替え版、両方観ました。
字幕がその制約上すべてを訳すわけにいかないのも納得しています。
原作の中の用語を初見の人にわかりやすく変えるのもある程度はしょうがないでしょう。
それにしても、あの字幕はひどすぎる!
戸田氏は原作を読んでないそうですが、この映画自体観ていないのでは?と思わせる所がいくつもあります。
この問題についてはあちこちで議論されているのでくわしくはこことかこことかを見てもらうとして
私は、最後の方にあるアラゴルンとボロミアの会話に字幕版ではなんじゃこの訳は?
と思ってしまいましたが(短いセンテンスなので私にも聞き取れた)
吹替え版で、ああそういう会話だったのねと、100倍は感動することが出来ました。なぜなら、そこにいたるまでの二人の感情の変化って、ちゃんと脚本上に描かれていたからです。
字幕版でははしょられすぎで分かりづらくなってますが。
というわけで、字幕版を見てビジュアルばっかりでドラマがないわと思った人、原作読んだことないし…という人はぜひ吹替え版を見てほしいです。
俳優の肉声をきけないのは残念なんですが(特にクリストファー・リーの美声が…)
納得がいったらまた字幕版を見るのも良しでしょう。
俳優もまさにフロドを演じるために生まれて来たようなイライジャ・ウッドを始め、適材適所。
いや、やっぱりリブ・タイラーはエルフの姫、それも世に並ぶもの無き宵の明星、と称される人物には見えないが…
この映画は最近には珍しく短すぎるし(だって3時間なんてあっという間よ)、続きを1年も待たなくてはいけないのが欠点といえば欠点。
できれば30分以上長いという完全版を劇場で見たいわ。
3部作完結のあかつきには、一挙上映なんてのも見てみたいし。

いや、ホントに来年が待ち遠しいわ。
だって、第1部って原作でも一番退屈な部分なんだもの。
2部以降はアレとかアレが映像で見られるのね…
う〜ん、早く観たい!

恋ごころ

 所属する劇団の公演のため、3年振りにパリに戻って来たカミーユ。
昔の恋人が気になって訪ねて行ってみたら、そこには別の女の人が…
そこへ現在の恋人と、カミーユに恋してしまった青年がからんで、さらに、失われた戯曲捜しと高価な指輪をめぐる陰謀…
と、ストーリーだけ書くとなんだかどろどろの因果ものみたいですが、実際は実に軽やかな映画であります。
 カミーユを中心とする登場人物達は、ビリヤードの球みたいにあっちへぶつかり、こっちへぶつかりその弾かれた球がまた別の球へ…
というように、起承転結で言えば、ほとんどが‘承’だけで成り立っているのがこの映画です。
要はそのぶつかり合いと、球の軌跡を楽しむのが正解でしょう。
 カミーユを演じるジャンヌ・バリバールはいわゆる美人ではないけれど、悪戯っ子のようなコケティッシュな表情が魅力的です。
彼女を始めとして、登場人物がいい年した大人だ(一部例外ありだけど)というのが素敵。
特に男達の子供っぽいことといったら…まったく(褒めてる)
 確かに退屈な映画が多いのも事実なんだけれど、こういう作品もあるからやっぱりフランス映画は侮れない。

 

トゥーランドット


 1998年紫禁城にて行われたオペラ「トゥーランドット」の舞台裏ドキュメンタリー
 映画監督チャン・イーモウを演出に迎えズービン・メータ指揮で行われたこの舞台は様々な困難を乗り越え、大成功をおさめる…
 まず始めに言っておけば、私はこの映画を評するにはいささか不適格だといえます。
オペラはほとんど見たことがないし、ましてや「トゥーランドット」がどんなオペラかも知りません。

かろうじて元になった芝居を見たことがあり、ストーリーを知っているだけです。
 
 じゃあ、なぜ観たのかと言えばミニシアター回数券があと2日で期限だったから…
それにチャン・イーモウやズービン・メータといった如何にも我の強そうな芸術家達がどのように折り合いをつけて一つの舞台を作り上げたか、その部分はきっとドラマチックに違いないと期待したからです。
でも結局、彼等の情熱ゆえのぶつかり合いは、ほとんど見ることが出来なかったのです。
明朝の衣装を忠実に再現することへのこだわり、広大な紫禁城を埋めるためにかり出された軍隊やエキストラ…
それらのスケールにはただただ圧倒されるものの、それがすぐに中国政府のプロパガンダじみてしまうので興醒めです。
いきなり軍隊のお偉いさんが「我が軍隊では、兵士の文化教育にも力を入れております。」と全然関係ない歌を披露させたり、衣装を縫っている所では「このような刺繍の技術は云々…」と説明が始まったり…
想像するに、紫禁城を借りるにあたって、いろいろ政治的な取り引きがあったに違いないのでそのせいだと思われるのですが。
唯一、確執があらわになる所といえば照明監督とチャン・イーモウの舞台の光量をめぐる戦いでしょうか。
それも結局どうなったのか…時間切れで照明監督の勝ちだったのか?
それすらハッキリしないので、実際に初日があいた時の彼等の感動というのもよくわからないし…
 たぶん、オペラ好きな人にとってはめったに見られない舞台裏を覗けるという意味で価値があるのでしょうが、人間ドラマを求める人には不向きな作品だったということです。
 ただ、あの舞台自身は物凄く豪華そうなので、観てみたいなぁと思ったら、ちゃんとロビーで舞台を収録したビデオ・DVDを売っていました。やれやれ。

 

ビューティフル・マインド

 たぶん、これが実在の人物の話だと言われなければ、それなりに良くできた話だと思ったに違いないのだけれど…
天才的な頭脳を持ちながら社会不適応な人物が、妻の愛によって病気と戦いながらノーベル賞を受賞する。
なんて良い話なの!と単純に感動するにはどうも、人間がひねくれ過ぎているらしいです、わたしは。
 まず、ナッシュの人物造型が納得行かない。
自分を天才と自負し、他の者を一段下に見ているような嫌味な人物の割には、周りの人たちが好い人過ぎるでしょう。
嫌なやつだけど、人を惹き付ける魅力があるというところがないと。
妻の方もかなり都合のイイ女としてしか描かれていない。

精神病を患った人と暮らすって言うのはあんな、キレイごとではすまないはず。
精神分裂病だとわかって、それからの数十年の歳月の方がよっぽどドラマチックだと思うんだけど、そこに妻の姿はないんだよね。
実際には一回離婚して、また最近になって再婚したらしいので描けないのかも知れないけれど。
人生は単純じゃなくて、その歳月を乗り越えたからこそナッシュ夫妻は「ビューティフル・マインド」なのでは?
映画を見て、そこに描かれなかった部分が知りたくなってしまいました。

この映画も字幕はナツコ女史だが、守備範囲のせいか変な字幕は2.3コしか無かった。
そもそも、数学用語なんて間違ってても分からんし。
しか〜し、最後の最後ノーベル賞のスピーチで私の頭は一挙に関西方面へ飛んで行ってしまったのだった…
「ここは椅子から全力でずっこける所なの?誰か教えて」との疑問が頭をぐるぐる。いや、気にならない人はならないんだと思うんだけど。
大意は間違っていないと思うけど、あれは正確な訳じゃないらしい。
いわば、「火炎太鼓」でサゲの「半鐘はいけないよ、おじゃんになるから」が違う言葉に変えられてるようなものかしら。
意味がわかんないって?すいませんねぇ、分かる人には分かるってことで。
言ってもいいんだけど、やはりラストの決めになる台詞だし、知りたい人は某巨大掲示版に落ちてるので自力で調べて下さい。
 ナッシュのルームメイトを演じたポール・ベタニー(ロック・ユーのチョーサーね)はあいからわず眉は薄いが存在感は濃くて好演。

やっぱりロン・ハワードには「アポロ13」で監督賞取ってほしかったわ。
あっちも実話だし、かなり脚色されてるに違いないけれど、お話としては良くできてたと思う。

 

エトワール

エトワールとはパリオペラ座のトップに位置するダンサーのことだそうです。
今まで秘密のヴェールに包まれていたオペラ座の裏側に、初めてカメラが入ったと言うことで、朝早くから渋谷はおハイソ好きな女性たちで満員御礼状態でした。

ここに登場するのはわずか8才で自分の人生を決めてしまい、厳しい生存競争に勝ち残ってきたダンサー達。
それぞれが語る言葉は、さすがに重みがあります。
ある人は「バレエを生きる。それは愛情よりももっと強い感情なの」と言います。
1日に10時間のレッスンをほぼ365日、厳しい自己管理、激しい競争、すべては舞台の上のわずかな時間のため。
様々な立場から語られるバレエへの強い思いがこちらへひしひしと伝わってきます。
おしむらくは、肝心の舞台のシーンがあまり魅力的に撮られていないことでしょうか。
この映画は奇しくもオペラ座の東京公演から始まるのですが、その部分が家庭用ビデオカメラで撮影されたような酷く汚い映像なのも気になります。

ですが、バレエ好きな人なら必見。そうでなくても、興味深いドキュメンタリー
と言えるでしょう。

 

ヒューマン・ネイチュア

「マルコビッチの穴」のC・カウフマン脚本をミュージックビデオの奇才(いや、初めて聞く名前なんだけど)ミシェル・ゴンドリーが監督ってことで観る前はけっこう期待してたんですが…
 思えば「マル穴」は「存在とは?」と言う哲学的命題を、誰も考えも付かなかった方向から誰も思い付かなかった方法で、人をけむに巻きつつ語ってみせたユニークな作品だった。
 なのに、こんな手垢の付いたような文明批判で終わっちゃうってのは、どういうことなのか、脚本家に小一時間…
 監督の演出も余りにもストレートすぎるような…
ミュージックビデオならワンアイデアで3〜5分斬新な映像を作ってみせるだけでいいのだろうが、映画はそれではすまないのよね。
もう前半にアイデアが出尽くしてしまったのか後半は凡庸なショットの切り返しばかり。
 
 あの、部屋から出ようとするのに反対側のドアから戻ってしまうって映像、以前に「笑う犬の冒険」で見たことがあるんだけど、何か有名な元ネタがあるのかしら?

時期的には「笑う犬」がパクったわけじゃないみたいなんだけど。
 この映画の収穫は猿に育てられた男を演じたリス・エバンスと怪し気なフランス語訛りをあやつる助手役のミランダ・オットー(この人指輪の第2部以降重要な役で出ます)の怪演ぐらいか。
あ、あとねずみね。

 

アザーズ(少々ネタバレあり)

 この映画についてはほんとに何も知らずに観た方がいいと思うので、未見の方は読まない方が無難かと…
 孤立した屋敷、日光アレルギーの子供、閉ざされたカーテン、鍵のかかった部屋、怪し気な使用人…
昨今のSFXで化け物を見せることに拘泥したホラーと違って、この映画においては‘何を見せないか’ということに細心の注意が払われています。
かすかな気配、音、視線、といった映像にしにくいものを掬い取ることに監督は成功していると言えるでしょう。
 じつはこの映画のオチは意外と早い段階で判ってしまうのですが、判っていてもなお、最後までグイグイと引っ張って観せてしまうのは、演出の力であると同時に、ニコール・キッドマンの素晴らしい集中力に満ちた演技のおかげであると言えます。
 この映画でのニコールは、ヒッチコックが生きていたなら涎を垂らして飛びつきそうなクール・ビューティ振りを発揮していて秀逸。
彼女の肉薄な顔の表情、視線がなければ、最後の哀しさが活きてこないのです。

↓以下ちょっぴりネタばれ
<font color=white>ただし…「オープン・ユア・アイズ」に続いてのこういう映画のオチは
2回は通用しても3匹目のどじょうは居ないように思うのですが…</font>
次回作がこの監督の評価の分かれ目かも知れないなぁとちょっぴり思いました。

 

シッピング・ニュース

 人生のLooserが、先祖の故郷へ帰って心機巻直しをはかるお話。
こういう話はこの監督の得意とする所のような気が一見するのですが…
 
 ケビン・スペイシーのダメ男は、もう本当にしょうもなくて、こっちがイライラするぐらいにダメ。
彼のダメ人生がこれでもか、というくらい語られる前半はけっこうテンポ良く進みます。
その妻になるケイト・ブランシェットの、これがあのガラドリエル様かと目を疑うようなビッチぶりも凄いし。
 
それに比べると後半は、もう少し丹念にエピソードを積み上げてほしかったです。
あの断崖に立つ家、ご丁寧にロープで地面に留めつけられている家という映像に頼り過ぎてしまって、登場人物たちの過去へのこだわりが少しずつ解けていく過程を飛ばし過ぎてしまっているような気がします。
何しろ、無学だった主人公は、いきなり新聞記事で人々を惹き付けるような文章が書けるようになっちゃうし、水の恐怖もいつの間にか克服してるし、住む場所が変わっただけでなんでそんなに積極的になっちゃうのさ?と言いたくなるような豹変振りで、観ている方はおいてきぼり。

叔母さんの過去にしても、それだけのトラウマを抱えていながらなぜ故郷へ戻ってきたのかの説明は無いままです。
ラストが余りにもわかりやすいので、なんとなく丸くおさまった気がしてしまうのですけれど、どうも余韻に欠けるというか…
いいのか、それで?

ラッセ・ハルストレムには、お願いだからスウェーデンに帰って、4〜5年に1作でいいので「ギルバート・グレイブ」レベルの作品を作ってほしいと、好きな監督だけに思うのです。

ブラックホーク・ダウン

 普通なら、ジェリー・ブラッカイマー製作と聞いただけで観に行く気を無くすのですが、監督がリドリー・スコットだったのと、音楽がエアロスミスじゃなかったので(エアロが嫌いってことじゃないです)観に行ってみました。

いい男がいっぱい出てるって聞いたし。(結局これかい)

最初の30分程を除き、とにかく戦闘、戦闘、戦闘。確かにその迫力たるや、凄まじいものがありました。
でも、それがリアルかと言われると、疑問です。
戦場の恐ろしさが感じられるというより、素晴らしく良くできた戦争ゲームを観ているような、そんな感じ。
クライマックスの攻防戦、こんな構図をどっかで見たよな…と思い起こしたのは往年の西部劇です。
襲ってくるソマリア人はインディアンで囲まれているのは騎兵隊。
どっちも襲ってくる方には顔が無くて、ばたばたと倒されていくだけ。
実際には、他人の土地に踏み込んできて好き勝手しているのはアメリカ人の方だ、という所まで共通だったりして。

少なくとも、この映画を観ただけではソマリア側の事情なんてな〜んも判りません。
だけどね、そりゃソマリア人だって、いきなり武装したアメリカ人がやってきて戦闘始めたら恐かっただろうと思うもの。
身近な人が巻き添え喰って死んだりしたら、報復もしたくなるでしょうよ。
そういうことには考えが及べば、もっと立体的な視点が持てただろうに。
アメリカのこの作戦がはっきりとソマリア人をバカにした、甘い考えで実行された失策だったと言うことは描かれているのですが、それも戦闘の凄まじさの中で忘れられてしまったようです。

最後に生き残りの兵達が戻ってきてスローモーションになる所なんてエアロスミスがかからないのが不思議なくらい(繰り返すけどエアロが嫌いなわけじゃないからね)
確かに単純なアメリカ万歳ではないけれど、「これは観客に問いかける作品であって、答えを提供する作品ではない」と言うのなら、もっと材料を提供して欲しかった。

 

 

光の旅人/ K-PAX

K-PAX星人だと名乗る正体不明の男が、彼と出会った人々を癒していくというお話。

で、その正体不明の男を演じるのがケビン・スペイシーなわけですが、こういう役はまさに彼の得意とする所なのでして、もう上手いとしか言い様がないのです。

あんまりにも上手すぎるので、肝心の周りの人々に与える影響の部分が印象が薄〜くなってしまってます。
精神病院の患者たちのキャラクターがもう少しきっちり描かれていれば、そういうことにはならなかった気がします。
精神科医役のジェフ・ブリッジスはさすがに、上手い受けの演技を見せてくれますが。

彼の正体なんてどうでもいいじゃないか、と思わせられなかったのは演出の弱いところだと思います。
そうなればもっと、余韻があったはずなのに。

全体としては、そう悪い出来とは思わなかったけれど、今一つ物足りないと感じました。
光を上手く使った撮影などは、面白いと思ったのですけど。

 

スパイダーマン

トビー・マグワイアが「スパイダーマン」と聞いた時には、正直「え〜、なんで?」と思ったものでしたが、ふたを開けてみれば彼で大正解。
ごく普通の(てかちょっと冴えない)高校生が突然、特殊能力を身につけてしまうという、その演じわけがすご〜く上手い。
彼がいきなり正義のヒーローになったりせず、まず自分の為に能力を使おうなんて考えるあたり、そりゃそうだよね〜と納得。
それが、ある事件をきっかけに、ヒーローの自覚に目覚めるという展開も良くできているし、幼馴染みの女の子との切ない恋模様もあったりして、青春ドラマとしても見ごたえ十分です。
相手役のキルスティン・ダンストは上手いんだけど、高校生には見えない、と思ったけどまだ20才なのね。
美貌のピークが11才(インタビュー・ウイズ・ヴァンパイア)だってのはなんとも…

ウィレム・デフォーも、楽しそうに敵役を演じていて最高!
鏡の前で二重人格の一人芝居なんてのまで見せてくれます。
グリーン・ゴブリンのマスクがちょっと、ちゃちいのが残念だけど。

ビルからビルへスパイダーマンが移っていく所は、躍動感があって良かったし、サム・ライミらしい所も随所に見られていや、ほんと楽しかった!

もう既に同じメンバーで続編も決まっているらしいので、そのおりにはたぶんこれの大ヒットで発言権が強くなったであろう、ライミテイストがもっと爆発してくれるんじゃ…などという期待まで持たせてくれました。

 

キューティー・ブロンド

濱田マリ東大へ行くの巻。え、違う?
彼氏から「君はブロンド過ぎて政治家の妻には相応しくない」と振られたブロンドのノー天気娘が、彼を追ってハーバードロースクールへ…というお話。

なんと言ってもリース・ウィザースプーンが最高。
彼女をキャスティングした時点で、成功は決まったようなもの。
一歩間違えば、ただのうるさい女にしか見えなくなってしまう役を‘変な顔’もものともしない豊かな表情で実にキュートに演じてます。

それに脚本もグッド。
主人公が自分を変えるのではなくて、あくまで自分らしさを貫いて、旧弊な価値観に縛られている連中に勝利をおさめるのが痛快だし、いろんな小ネタがとっても楽しい。(アリバイを人に言えない理由とか、ゲイネタとか)

とにかく見終わってスカッと晴れやかな気分になれる映画なので、
まだ観てない人は映画館へ急げ!何しろ映画館はガラガラだから…

 

ET/20周年アニバーサリー版

 あのETが20周年記念と言うことでリニューアル再公開。
もうこの辺は余裕でリアルタイム…けっ。
ただし、当時観て来た友人から、ストーリーの詳細を事前に無理やり聞かされてしまったので(きぃ〜、今思い出しても腹が立つわ!皆さんもそういうことすると友だち無くすわよ)

あんまり感動できなくて、その後ビデオなどで見返すこともなく、本当に20年ぶりの再会になってしまいました。

いや〜なんだか新鮮でした。こんなにもセンス・オブ・ワンダーに満ちあふれた映画だったとは。
返す返すも、初見のときまっさらな状態で見られなかったのが悔やまれる……
未知なるものへの憧れとか、空を飛ぶことの楽しさとか、大人になることとか…

ドリューはこの映画では天使のように可愛いが、この2年後にはアル中(8歳で!)さらにヤク中、リハビリの果て3度の結婚と離婚を繰り返し、今つきあっているのはサム・ロックウェル…とだめんずウォーカー曝進中。
相変わらず可愛いんだけどね…
エリオット少年はただの冴えないオヤジになってたし
といろいろ感慨にふけってしまう再会だったのでした。

追記:えっとそのあともドリューちゃんは迷走中…

 

ハッシュ!

 久々に、素直に面白いと思える日本映画でした。
 とにかく、役者がみんな好演です。
高橋和也、誰?え、男闘呼組ぃ〜?田辺誠一?う〜む?というのが観る前のイメージとしてあったわけですが、二人ともいい意味で予想を裏切ってくれました。
田辺誠一のお兄さん役の光石研も、秋野暢子、富士眞奈美、そしてよくこんな役引き受けたよなと思うくらい嫌な女を演る、つぐみもそれぞれ良いのですが、なんと言っても片岡礼子が素晴らしすぎます。
姐さん、と呼びたいです、いえ、呼ばせてください!
(プロフィールによると71年生まれ…あれっ?いや、私はほら、25歳だから…)

この監督の作品を観るのはこれが初めてだったのですが、なによりも会話が嘘臭く聞こえないのが良いです。
どうも最近の日本映画って「あんたら、本当に友達とそんな会話してるのかよ!」
といいたくなるような‘ためにする’台詞が多いような気がするんですが、(岩○俊○の台詞とかほんとにいいと思ってる?みんな?)これはそんなことなくて会話が‘生きている’と思いました。

ストーリーには詳しく触れるつもりがないのですが、ある河原のシーンでの感情の表現なんて、机上でかっこいい台詞や映像ばかり考えてるような人にはちょっと出来ないものなんじゃないでしょうか。

始めは、人生に疲れたからって子供産んで何か達成した気になるなんて、ちょっと甘いんじゃないの?という気持ちが無きにしもあらずだったんです。
でも、人は孤独であるけれど、誰かと繋がろうとすることでなんとかやっていくことが出来るんだ、その結果として子供があるなら、それも良いんじゃない?

それが世間の基準とは違うかたちであったってかまわない、と最後には思えるようになりました。
希望を持たせた終わり方も良かったし、またこれからの3人の話って言うのも観てみたいという気にさせてくれます。

それから、監督、富士眞奈美のモデルはもしかして、うちの母ですか…?
(本当は監督のお母さまがモデルだそうで)

 

バーバー

いやはや、ビリー・ボブ・ソーントンがこれほどかっこいい男だとは。
なにしろ、「スリング・ブレイド」のとこの映画のが同じ人物だなんて、どうして信じられようか。
例えば、デ・ニーロはどんなに演技が上手くてもデ・ニーロにしか見えないし、トム・クルーズに至っては、何を演ってもトム・クルーズである。
映画によってここまで印象の違う人と言えば、あとはケイト・ブランシェットぐらいしか思い付かない。

終始無表情で、たばこを吹かしているビリー・ボブはばっちり決まっていてこのジェームズ・ケイン風ハードボイルドにぴったりだ。
ロジャー・ディーキンスのモノクロ撮影も、うっとりするほどの美しさだし。
それなのに、手放しで傑作という気にはなれないんだよねぇ。

平凡な人生を送っている人物がささやかな抵抗を試みたばっかりに、話がとんでもない方向へ転がってしまう、というのは「ファーゴ」といっしょでどっかで観たような物語、どっかで観たような手法という気分が最後まで付きまとう。いつもの兄弟らしい人を喰った演出も不発なような気がするし。
そんなこんなで、今回始めて「コーエン兄弟の映画で寝てしまう」と言う人々の気持ちがわかったような気がした。
 
じつはハードボイルドとコーエン兄弟というのはあまり、相性が良くないのではと思ったりもするのだ。
わたしのなかでは「ミラーズ・クロッシング」がいまいちなのでそう思ってしまうのかも知れないけど。(でも「ブラッド・シンプル」は大好き。あと「ビッグ・リボウスキ」と「オー・ブラザー」 がベスト3だ)
好きな監督に対しては、どうしてもアベレージを高くとってしまいがちで、だから、じゃあこの映画がつまらないのかと言われれば、そんなことはないと答えるんだけど。
どんなに美味しいものでも、しょっちゅう食べると飽きが来てしまうと言うことなのかしら?ちょっと贅沢すぎ?

 

少林サッカー

世の中ワールドカップで大騒ぎ、御多分にもれず私もサッカー観戦にうつつを抜かしているわけですが…(いや、なにげに映画も観てるんだけど更新する気が………)
で、そんな中、観て来ましたよ少林サッカー

いや〜〜〜〜〜もう最高!!!
もう既に観た人には言葉なんて不要ですね、この素晴らしい映画を観た喜びを分かち合いましょう。
そして、まだ観ていない人には「とにかく観ろ!映画館に走るんだ!」
これを見逃したら、一生後悔すること必至だから。
理屈不要、説明無用、痛快無比、爆笑必至、無類感動、周星馳万歳!
え、感想になってないって?

Don't Think ,Feeeeel!

I am Sam

いやもう、泣けと言わんばかりのお話である。涙腺ゆるゆるの私はけっこう覚悟して観にいったのだ。
だけど、全然泣けなかった…人間が汚れているのかしら??

演出はそれなりに節度のあるもので、押し付けがましい泣かせの描写なんかは少ない方だと思う。
でもね、ストーリーがアナクロニズムの極地なのだもの。
障害者=純粋無垢、頭がちがちの役所、キャリアウーマンは家庭が崩壊
もう、いいかげんにしてほしい。
余りにも御都合主義の展開にもどうにも乗れなくて…

ただ、ショーン・ペンの演技だけは本当に上手い。でも、それだけ。
ミシェル・ファイファーも、しどころが無くて戸惑っているように見えた。
まあ、見ていたほとんどの人は泣いてたみたいなので、きっと私が悪いのね。


ノー・マンズ・ランド

監督が、国連とマスコミの欺瞞を暴きたかったのなら、それは大成功している。
だけど彼等の描写に比重を割きすぎたせいで、中心であるはずの二人の兵士の間の緊張や、奇妙な連帯感の印象が薄くなってしまった。
その部分が良く出来ていたら、クライマックスのシーンももっと効いていただろうに残念。
傑作になり損ねた、佳作と思う。
それでも、苦い、苦い、ラストシーンはいつまでも心に残る。

愛しのローズマリー

ファレリー兄弟だから、かなりお下劣ギャグ満載の映画かと思えば意外や意外、超直球なラブストーリー。
珍しくグィネスがかわいらしく見えた。

ジャック・ブラックはこんなイイ人の役もいけるのね。

ただ、心の美しい人=外見の不自由な人(PCな表現にしてみました)
美人=貧しい心の持ち主って、それって逆差別なんじゃ…

 

活きる

主人公の福貴は、資産家の跡継ぎだったのに、博打に負けて全財産を失い、しょうがなく道楽でやっていた影絵芝居の唄うたいとしてどさ回りに出るも、国民党軍に徴用され、なんとか生き残って今度は共産党軍のために働き…
と、激動の時代を過ごして行く一家の、30年以上に渡る物語。

時代から考えて、政治的な要素が入って来るのは当然のことだし、遠回しな批判も感じられる(村長さんや春生(福貴の親友)はどうなったことだろう…)のだけど、それよりもなによりも、いろいろな変化を辿りつつも、逆らうでもなく、流されるでもなく、意外としたたかに生き抜いていく庶民の姿に、監督が託したものがあると思います。

そして、人生は続く。ささやかな喜びと悲しみを飲み込んで。
穏やかなラストが、心に沁みます。

役者さんたちも良かった。とくに主人公を演じたグオ・ヨウ。
飄々とした風貌に、そこはかとないユーモアを漂わせて、じつは悲惨なことが次々に起きるこの映画の全体の雰囲気が暗くならないのは、この人のおかげでしょう。

そして、コン・リー。彼女が絶世の美女とか、薄幸な女とか演じていると頭の中に疑問符が100個ぐらい浮かぶのですが、こういう地に足のついた、たくましい女性をやらせると天下一品であります。
一家の息子をやった子がまた可愛くて、彼が○○○○○○ところはもう涙、涙。

 

マジェスティック

「キャプラコーン」と言う言葉があります。
キャプラと言うのは、1930〜40年代に活躍したアメリカの映画監督フランク・キャプラのことですが、彼の映画はアメリカの民主主義、人道主義の理想をうたい、その理想主義ゆえに甘いお菓子のようだとされて「キャプラコーン」と揶揄されることがあるのです。

でも、彼の映画を見ていると彼自身、本当にそんな理想を信じていたわけではないのではないかと思えます。
彼の映画の主人公達は、政治の腐敗、気紛れな大衆、隣人の裏切りによって、破滅の直前まで追い詰められます。
もちろん、その後には起死回生の勝利が描かれるのですが、現実はそうではないと知っていたからこそ「こうあってほしい」という希望を込めて勝利が描かれるのだと思うのです。

なんでこんなことを長々と書いたかといえば、この「マジェスティック」が目指しているのが、まさにその民主主義の理想という奴だからなのですけど、残念ながら、良く言ってもキャプラの粗悪なイミテーション、何を勘違いするとこうなるんだろう?としか見えません。

この映画の冒頭で、主人公の脚本をプロデューサー(?)たちがやれ名前をかえろだの、泣かせる為に少年を出せ、いや犬だ、主人公を怪我させた方が同情をかう、とよってたかっていじくりまわす処があるのですけど、思わずこの映画の脚本もそうやって創られたんじゃ?
と思ってしまったくらい御都合主義と甘い現実認識に満ちていて、どうにも薄っぺらにしか見えませんでした。
赤狩りも、映画を彩るスパイスですか?(まあ、その程度に語られるようになったとも言えるけど)
一番ええ〜?と思ったのは主人公が間違われた青年の婚約者だった娘と町を歩くと、その後ろを町の人たちが全員でつけている…というのが、微笑ましいシーンとして描かれているところです。
そんな善意はいや〜〜〜〜てか、善意じゃないって、それ。

監督は「素晴らしき哉、人生」をフェイバリットムービーだと語り、皆、一度は見るべきだと言っているんですけど、本人ももう一回見直した方が良いと思います。

ジム・キャリーは普通にしているとかなりの2枚目で、好青年に見えるんですが、ときどき我慢しきれないように顔が歪みそうになるのがなんとも…

 

SWエピソード2/クローンの攻撃

’78年アメリカに遅れること1年。やっと公開された第1作のあの熱狂を覚えているもの(つまり私)にとっては、やはりSWは特別な映画なんです…

いや、突っ込みどころが満載なのはわかってるんだけど
何しろ、○りたい盛りの青年と二人っきりで行動するのにあの背中丸出しのうすものだの、半乳出しのドレスだのばっかり着るのは誘惑してるとしか思えんとか(じつはダークサイドの手先だったとかなら笑うんだけど)
だいたいアミダラはいつアナキンのことが好きになったのか、ちっともわからんし。
あの人とあの人が同一人物だなんて誰でも知ってるのにもったいつけ過ぎだとか、ジャンゴフェットは…………とか、オビワン弱すぎだとかetc…
 
ストーリー展開もたるいし、SFXも「指輪」で自然との見事な融合を見てしまったあとでは、いかにも書き割りっぽくていまいちだし。
SWシリーズって、世界一金のかかった自主製作映画なので誰もルーカスを止められないんだよねぇ。ある意味、裸の王様なのか?
唯一、R2-D2とC-3POの漫才コンビの結成は楽しかったけど。
ジェダイ軍団の戦いもその時はけっこう興奮したんだけど、思い返したら印象が薄〜くなってるし。

が、そんなこんなも全てヨーダで帳消し。
「帝国の逆襲」で「酔拳」のユエン・シャオティエンよろしくルークを鍛えているのを見た時から誰もが抱いていたはずの疑問
「ヨーダはどのくらい強いのか?」との疑問に答えが出る日が来るなんて!
で、結局このシーンだけで十分に料金分の価値(レディースディ1000円)の価値がありました、私には。
あの方との対決シーンも笑っちゃったし(だってあれそっくりなんだもん)
惜しいのはマペットじゃなくてフルCGだったことかなぁ。

もっとも、2時間22分の上映時間中、見せ場(私にとってだが)が10分ぐらいと言うのはかなり、コストパフォーマンスが悪いという気はするが。

で、結局なんだかんだ言いつつも「エピソード3」も観に行っちゃうんだろうなぁ、きっと

 

月のひつじ

世界中が注目したアポロ11号の月面着陸のテレビ中継。
その背後には、オーストラリアの小さな町の科学者達の努力があったのだ。
てなストーリーだけ聞いたら一瞬、プロジェクトXと間違いそうなんだけど、そこはそれ、あんなふうに感動させるのにがつがつしていないのだ。
(いやプロジェクトXでよく泣くけどさ…)

なぜ、このパークスの町が選ばれたかと言えば南半球で最大(直径60mですって!)のパラボラアンテナがここにあるから。
これがほんとに野中のど真ん中で、周りを羊がのんきに歩いていたりする、どう考えても人口より羊の数が多そうな場所である。
そんなところが急に世界中の注目を浴びるようになったもんだから、もう大変。
でも基本的におおらかな人々なので、そのドタバタぶりも微笑ましくて思わずほほが弛んでしまう。

NASAから来た技術者は、この町の人々のあまりののんびり振りに、一人でかりかりしてて時々衝突したりするけれど、停電で見失った11号を力をあわせて無事発見(この方法が可笑しい)したりして心を開いていく。
結局は、みんな子供のころ空を見上げてあの星の向こうへ行ってみたいと夢見たのは同じなのだ。
その彼等の夢の結晶がアポロ11号だったと言うわけで…
無事中継は行われたのでしょうかって、成功したからこういう映画になってるんだけどね。
でもそこに至る迄はけっこうハラハラドキドキもあり、地味だけど、ちゃんとメリハリも効いてて、ほのぼのとした良い映画でした。

ところで最近、あの月面着陸は嘘だったと思ってる人が増えてるらしい
みんな「カプリコン1」の見過ぎぢゃ…?

 

 

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