2004年

 

みんなのうた

いや〜悔しい。何がって、後ろの方でバカ笑いしているアメリカ人が、なんでそんなに笑ってるのかほとんど理解出来なかったこと。

しかたがない、だって日本で例えばキャンディーズやピンク・レディー、西城秀樹など(例えが古くてスマンね)をモデルにしてそれよりちょっとズレた人たちが出て来る映画を造ったとしたら、そのズレ具合の可笑しさを外国人に説明することって、ほぼ不可能なんじゃないかと思うわけで。
だからって、この映画が地域限定のローカルな笑いしかない映画だというわけじゃないんですけどね。

60年代フォークソングの大物プロデューサーだった人物が亡くなり、その息子が所縁のミュージシャンを集めて追悼コンサートを開こうとする…
監督のクリストファー・ゲストは「ドッグ・ショウ」「スパイナル・タップ」と同じく偽ドキュメンタリー(モニュメンタリーというらしい)の手法で集まった人々の人間模様を描いていくんですが…

よくもまあ、これだけ味のある顔の、芸達者な(劇中の歌は全部本人たちが歌っている)役者を集められたもんだとまず感心してしまいます。
おそらくモデルは往年のフォークシンガー達、でもそれをほんの少し誇張したキャラクターが可笑しくて、でも彼らのことを時代遅れといってバカにしてるわけじゃない、なんといいますか、ワハハと笑ってしまうんじゃなくてフフッと込み上げてくる微笑ましい笑いという感じがなんとも心地よいです。

別にフォークソングに興味がなくても、人間図鑑として非常に楽しく観ることが出来る作品だと思います。
それに、コンサートに向かってみんなが努力して、それが上手くいった時のみんなの嬉しげな顔はちょっと感動してしまうものでもあったりします。
更に最後のオチが最高(まさかあんなことになるとは!)

この愛すべき小品がほとんど宣伝もされず、六本木ヒルズのみという、およそこの映画に似つかわしくないシチュエーションで、ひっそりと公開されるというのはなんとも残念なことだと思うのでした。

アカデミー賞の主題歌賞にミッチ&ミッキー(ユージン・レヴィ&キャサリン・オハラ)の「a kiss at the end of rainbow」がノミネート。 
はたしてミッチ&ミッキーは現われるのか?そしてアレをやってくれるんだろうか?楽しみぃ〜

追記:やってくれましたよ〜、ちゃんと薔薇の花瓶まで再現されていたのには大笑い。

   ただ、映画を観てない人には何のことやら判らなかったかも。

 

王の帰還

とうとうこの長い物語も終わりを迎えることになりました。
これを書くに当たり、前2作の自分の感想読み返してみたんですが、酷い文章…

もう感無量、胸がいっぱい、それ以外に書くことが見当たらないくらい、まさに物語の締めくくりにふさわしい、堂々たる傑作であります。

小説を読んで想像していた、ミナス・ティリスの偉容、ペレンノールの戦い、滅びの山、すべてが想像以上の映像となって目の前に現れ、クライマックスにおいては今までの物語、登場人物たちの来し方が走馬灯のように浮かんできて、奔流のように感情を揺さぶられ…もう鳥肌立ちっぱなし、ラストの方は泣きっぱなしです。

それにしても、同時に三作撮影したとはいえ、このように長い物語を最後まで変わらぬ緊張感、いや、クライマックスに向けてテンションを維持することが
出来たのは驚くべきことです。
去年、もう一つの三部作(と称していた)があんな結果になってしまったのを観たあとではこれはまさに奇跡に近い。

しかも、これはニュージーランドという東京都の半分の人口しかない国の、1人のオタク監督とその仲間によって造り上げられた、
この映画をハリウッド映画と思ってる人は多いと思いますが、資本こそハリウッドのニューラインシネマが出していますが、実際はニュージーランドから一歩も出ることなく、ニュージーランドのスタッフによって造られた壮大な規模の自主映画だと言ってもいいものです。

PJ自身は、始めに自宅の庭で仲間たちと映画を造りはじめたころと、ほとんど変わっていないのだと思います。
だからこそ、この偉業(と言っていいでしょう)を成し遂げることが出来た。
ペレンノールの戦いにおけるサウロン側の首領がこれに酷似しているのは、たぶん偶然ではない…はず。

しかし、マスコミの宣伝はもう少しどうにかならないものでしょうか。
良くわからんバカタレントにミーハー丸出しの下らない質問させたり、これさえ覚えれば前2作観てなくても大丈夫なんて言ってのけたり。
いったいどのくらいの人がいきなりこれだけを観ようとするのか不明ですが、例えば2時間の映画だったとしたら、初見で最後の30分だけ先に観ようなんてことはしないはず。

物凄く気が早いことは解っていますが、今年のベスト…いや、この10年のベストだと言ってもいい。

さて、次はいつ観にいこうかな。

 

私の小さな楽園

親切にしてくれる男と次々寝て、全部父親の違う子供を産んでおきながら「どうして、私だけこんな罰を!?」ってど〜ゆ〜ことよ。
と思うんだけど、なんとなく憎めない気がするのが不思議だわ。
しかも、これが実話だっていうのがオドロキ。


モロ・ノ・ブラジル

まったく音楽に詳しくない私には、次から次へ出てくるミュージシャンたちを、ほぉ〜、へぇ〜と見ているだけでブラジル音楽の魅力を感じる暇がないうちに終わってしまった気がします。
もうちょっと初心者にも優しくして欲しかったなぁ。


イン・アメリカ
 
なんとも上質の"ファンタジー"
子供は子供なりにちゃんと世界を見てるし、自分の大切なものを護るために必死なんだよね
 


ブルース・オールマイティ


別にジム・キャリーが嫌いなわけじゃないんだけど…嫌いだったらそもそも観にも行かないし。
今度は「素晴らしき哉、人生!」ですか?そんなにジミー・スチュワートになりたいのか!
あなたには、プレストン・スタージェスの「サリヴァンの旅」でももう一度見直してみることをお勧めするよ。
 


シービスケット

これぞハリウッドの王道、底力。
物語を語る能力、役者を信じるということ、観客を信じる(これはかなり難しい)ということ。
タメとずらしの絶妙なバランスが素晴らしい。
偽キャプラ映画のおためごかしはケッ!と思うけど、ジェフ・ブリッジスが「For the future!」と言うのは信じられる気がする。
そのブリッジスを初めとする役者達のアンサンブルが見事。
ポラード(トビー・マグワイア)の友人を演った人が、本物の騎手だと知って びっくり。

演技上手すぎ。
 一番感動した台詞:「そんなことをしたら、骨が潰れてしまうぞ」
          「その前に心が潰れます」

 
ミスティック・リバー
 
まるで「シービスケット」とはポジとネガみたいな作品。
冒頭で暗渠に沈んだボールが象徴するように、深く暗い川に沈んで流されていくしかない人生。その闇と業の深さに慄然とする。
ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコンの演技はもちろん見事でしたが、S・ペンの妻を演じたローラ・リニーが本気で恐ろしかったよ。
それにしても、彼らの年齢設定が36、7才(S・ペンが18の時の娘が19才)だとは…

 

ジョゼと虎と魚たち

フシギちゃんというやつが苦手である。あと、植物みたいな男子も。
この二つが日本映画をダメにしたんじゃないかと思っているので。
だからまあ、予告編の時点では苦手そうな映画だったんだけど。

「あいみての のちの心にくらぶれば むかしはものを思わざりけり」

ただ過ぎ去った1年のその後に、二人で過ごした時間を消すことはできない。
でも、知らなければよかったなんてジョゼは思わないだろう。
その間は確かに幸せだったのだから。

軽やかに疾走するジョゼと、対照的に泣き崩れる恒夫と・・
若さゆえの愚かさを、優しいという名の弱さ、狡さを見据えて、
この映画の主人公たちは、ちゃんと血の通ったフシギちゃんと植物男君だった。

ただ、なんといったらいいのか二人のことをガラス越しに見ているようなそんなもどかしさを感じてしまったのも確かで、だから、せつないんだけど、痛切ではないみたいな。
たぶん、あまりにも二人以外の登場人物の存在が作り物めいていたせいかもしれない。
その希薄さこそが、今のリアルなのかもしれないんだけど。

 

アイデン&ティティ

マンガはすごく良かったので、結構期待していたんですが・・
みうらさんも、田口さんも真面目な人なんだなぁ、そして真面目にやろうとすればするほどロックからは遠ざかっていくような・・
麻生久美子さんのキャラは、マンガというフィルターがかかっていれば許容範囲ですが、生身の人間としてはあまりにも・・ちょっと工夫が欲しかったです。



ニューオリンズ・トライアル

ストーリーとしてはちょっと弱い(途中で先が読めてしまう)んだけど、ダスティン・ホフマンとジーン・ハックマン、二人の初共演(とは驚き)というだけでも観る価値あり。
看板だけじゃなく、正面切って火花散らす演技合戦はお見事。
ジョン・キューザックも一見普通そうな容貌と瞑い瞳が活きるキャラで好演。

 


ラブ・アクチュアリー

All You Need is Love!
昔、ヒュー・グラントのこと大嫌いだったのに、何で踊る彼を見てこんなに幸せになってしまうのかしら。
一つ一つのエピソードをよくみれば、掘り下げの足りない部分も多々あるものの、誰でもひとつは思い当たるふしのある、19人の心温まる物語。
お気に入りはビル・ナイとマネージャー、ローラ・リニーとロドリゴ・サントロ(好みのタイプだわ〜)かな。「1秒待って!☆§*#◎¢〜!」ステキ・・
でもその後の展開はあんまりじゃないかしら、だってさ〜ブチブチ・・

そして、最後のあれは誰だって「がんばれ!」と心の中で声をかけたはず。
それにしてもなんでこれをクリスマスに公開しないのだ?

 


ラブ・ストーリー

いまどきこんなアナクロなお話を、堂々と臆面もなくやってしまうのはある意味偉いと思いますが、あまりにもベタすぎる・・
でも、ちょっと泣いちゃったんだけどさ


悪い男

まずはじめにお断りしておくが、これは大変に観客を選ぶ映画である。
この映画に描かれるような愛の形を、多くの善男善女は生理的に受け入れがたいと思うだろう。
あの「トーク・トゥ・ハー」でさえ拒絶した人たちにとってみれば、この映画は存在すら否定したい唾棄すべきものとして映るにちがいない。

しかし、唾棄すべき人間を描きながら、その中に一編の真実を描き出すことが出来るのが、映画の特権であると信じられる人間にとっては、これはとてつもなく美しい映画である。

ヤクザものの男がある日街で出会った女子大生に心惹かれ、強引に唇を奪う。
そして、卑劣な手段で彼女を罠にかけ、売春街へと身を堕とさせ、夜な夜な客をとる姿をマジックミラー越しに見つめる。

ヤクザものの男、ソンギにチェ・ジェヒョン、女子大生ソナにソ・ウォン。
たった一つの台詞を除き、一度も言葉を発することなく目だけでその心情を語ってみせるチェ・ジェヒョンも、演じる上でも女性として大変な苦痛を味わったであろう、ソ・ウォンの清純な少女から女へと変貌を遂げるさまもともに素晴らしい。

言うまでもなく、ソンギの行為は到底許しがたい最悪の所業である。
しかしながら、そういう形でしか人を愛することのできないソンギの哀しみをそして、自分をどん底の境遇に堕としたソンギを激しく憎みながら、いつしかかけがえのない存在に思ってしまうようになるソナの感情を“愛”と呼ぶにはあまりにも安易に過ぎ、かといって“憎しみ”でもなく、それは“宿業”とでも呼ぶしかないようなものである。
思えば、初めて二人が出会って視線がぶつかったその瞬間から運命付けられていたものだとでもいうように。

そんな二人の感情を斟酌することもなく、安易に「ソナのことを愛している」などと口にする(それでいて命を懸ける度胸もない)舎弟のミョンスの鈍感さのほうがよっぽど私には醜いものにみえる。。
多分、こちらのほうが一般的な感情に違いないと思いつつ。

二人は一度も肉体的には結ばれることがない。(かといってソンギが不能というわけではなく、彼女の面影を思い出しながら別の娼婦を抱くシーンが出てくる)
ソナのベッドへやってきても、安心したように赤ん坊のごとく体を丸めて眠りについたりもする。そしてまた、マジックミラー越しに彼女を見つめるのである。
そのマジックミラーを壊し、二人がお互いの存在を確認しあうシーンは、悲痛だけど、この映画の最も美しいシーンだと思う。

繰り返される鏡とガラスのイメージ。
この世ならぬところに見える売春街のネオン。
画家を目指したこともあるという監督の映し出す映像は、物語の内容とは裏腹に実に美しくファンタジックであり、それでいて、そこへ唐突に投げ込まれる暴力の凶暴さが心をかき乱す。

身も心も、完膚なきまでに傷つき、それでもなお離れることのできない彼らに訪れた不思議な平安に満ちたラストは、ソンギが今際の際に見た甘美な夢だったのだろうか。
(余談だが、このラストをみながら、なぜか落語の「お直し」を思い出した)

劇中、象徴的に使われるエゴン・シーレの絵のように、グロテスクで苦痛に満ちて、それでいてなお美しい傑作。

たぶん、この映画を理解できない人のほうが、よっぽど幸せだと思ってしまうことも確かなのだけれど。

 

ディボース・ショウ

ジョージ・クルーニーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズが丁々発止の恋愛ゲームを繰り広げると聞けば、往年のクラーク・ゲーブルとキャロン・ロンバート、ケーリー・グラントとキャサリン・ヘプバーンのような、粋なスクリューボール・コメディを期待してしまうのは当然のことであります。
ましてやその年代の映画については、一家言ありそうなコーエン兄弟の映画だし。。

しかし、お手本にしたのがプレストン・スタージェスやエルンスト・ルビッチではなく、ず〜っと後発のブレイク・エドワーズだということからもわかる通り、いささか緩いというかひねりが足りないというか…
こういう映画ですから、話の行き着く先は決まっているわけで、重要なのはそこへ至る過程なのですが、せっかく脇にジェフリー・ラッシュ、ビリー・ボブ・ソーントンなど芸達者を揃えながら、上手く生かされていなのが残念。
ヘンな凶悪キャラを出すよりは、作劇上においてもう少し悪辣さを発揮してもらいたかったところです。

しかしながら日劇1の大きなスクリーンで、この見目麗しいカップルの姿を眺めることが出来るのは何とも楽しく、幸せです。
ここまで正当派二枚目のジョージを見るのは、結構久しぶりのことでもありましたし。
(とはいえ、コーエン兄弟のことそれだけじゃすまないんだな…)
この二人、非常にスクリーン映えするカップルなので、ぜひとも改めて本格的なスクリューボール・コメディを撮ってもらいたいと思ったりもしました。

 

25時
 
スパイク・リーのニューヨークへの愛情のこもった作品。
「この10年彼が悪い方向へ進んで行くのを見ていたのに、止めることが出来なかった」というのは、あの日についてのスパイク・リーの実感みたいなものにも思えた。
自業自得とはいえ、ぎりぎりの状況に追いつめられて、初めて友情や愛情の価値を見つめ直すモンティ。
そんな彼を取り巻く人たちのやるせない想いが伝わってくる。
ありえたかもしれない穏やかな未来が、逆に今現在の厳しさを照射するラストに胸が詰まった。

 


カルメン

あらゆる意味で、可もなく不可もなく…
カルメンがどういう話なのか知りたい人には最適かも。それだけ。

 


レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード

大してタイトルが短くなってないんだから原題通り「Once upon a time in Mexico」 にしておいたら良かったのに。
もっとも、こんな映画でオマージュを捧げられては、セルジオ・レオーネも墓の下で苦笑いしてるだろうな。
すっかりフェロモンのかけらも無くなった(寂)バンデラスに替わるジョニー・ デップの暴走ぶりは確かに楽しいんだけど、ストーリーはぐだぐだ。
ウィレム・デフォー、ダニー・トレホ、ミッキー・ローク(いい具合にいかがわしい味が出てきて、昔よりいい感じ)と濃〜いキャストにはお腹いっぱい。
多分、一番楽しんでいたのは作り手の方だと思われ。


マスター・アンド・コマンダー
 
日常→日常→嵐→日常→戦闘→休息→日常→日常… という(印象)リズムがかえって海の大きさを感じさせてくれる。
末梢神経刺激とは違う、腹にずぅ〜んと来るような戦闘シーンに興奮。
JAROまで出てきた宣伝騒動ですが、あの少年は一応メインキャラの一人(でも宣伝とはかけ離れた役だけど)だからまあ、クローズアップするのは許すとして、マチュリン役のポール・ベタニーの名前も姿もポスターに一切無いのはどういうことなのか!怒りますよ、まったく!
せっかく髪と眉も染めたのに!半分はマチュリン主役みたいなものなのに!
あと、ピピン(指輪の)が出てて、いつへまをするかと気が気じゃなかったんだけど、この映画では一応腕っこきの操舵士という設定だったらしく、無事でよかった、よかった。(何か間違えてます)



ペイチェック
 
もとはSFだったらしい「フェイス/オフ」を力技で男泣き映画に仕上げたウー先生ですが、今回はその手も使えなかったようで。
確かに「北北西に進路を取れ」と言われればそうなんだけど、なにしろベン・アフレックではケーリー・グラントのつま先にも及ばないし、悪役が小粒すぎる。
そして、女を撮るのがへたなウー先生は、せっかくのユマ・サーマンもこれまでに無く魅力の無い女にしか撮れてない……あ〜あ。
飛ぶ鳩(室内なのに!)翻るスーツ(室内なのに!)と無理矢理なウー印には苦笑……


ドッグヴィル
 
ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー、ローレン・バコール、ベン・ギャザラ、と私の大好きな俳優ばかりが出演しているんだけど、観ようかどうしようかずっと迷ったあげくに観にいく。
だって、この人の映画っていつも嫌な気持ちにさせられるし。(「ダンサー・イン・ ザ・ダーク」で泣いたという人、いったいどこに泣いたのか教えてください。いや嫌みじゃなくてマジで。)
アメリカ批判であることは明らかですが、、自分たちだけの価値観が絶対と思ってる独善的なコミュティ(国)なんてそこらに腐るほどあるわけで、その縮図をこれ以上はないくらいわかりやすく見せてくれる、という意味ではよく出来た映画だとは思います。
しかし、また見たいかと言われれば、もういいです。
一見、カタルシスがあるように見せかけてやはり胸くそ悪いものを残す結末なんだよなぁ。
役者たちはニコールを始め、皆素晴らしいですが。

 


恋愛適齢期

いい年した大人のくせに、まるでティーンエイジャーみたいに大騒ぎな恋の顛末はジャック・ニコルソンとダイアン・キートンだからこそキュートなのよね。
二人が惹かれ合う動機がちょっと弱いのと、後半がバタバタするのをのぞけば楽しく見られました。
あと、久々にネオじゃないキアヌを見たわけですが、どうみても医者には見えなかったです………

 

殺人の追憶

「吠える犬はかまない」のポン・ジュノの新作は、前作からがらりと様相を変えた、実に骨太の人間ドラマである。

80年代、韓国で実際に起こった未解決の連続婦女暴行殺人事件の映画化だが、未解決ということは、最初から犯人は捕まらないことがわかっているわけで、この映画に謎解きの面白さを求めることは出来ない。

さっきがらりと変わったと言ったけど、この2作に共通するものは、人間というものに対しての洞察の深さ、確かさだ。
それが、映画に陰影を与え、味わい深いものにしている。

あるのどかな農村で起きた殺人事件。捜査の協力のため、ソウルからやってきたソ刑事。

叩き上げのパク刑事はそのやり方が気に入らない。(二人が初めて会うシーンの飛び蹴り最高)
ソはこれは連続殺人だといい、その主張通り別の遺体が発見される。

次々に容疑者はとらえるてみるものの、犯人とは断定できない。
そして、また新たな被害者が…

現場保存さえ満足に出来ないずさんな捜査、見込みと拷問による取り調べ、都会の刑事と地元の刑事との対立、軍事政権下という時代背景。
それらを覗かせながらも前半は、奇妙なユーモア(なかでも、取り調べの休憩中、容疑者と刑事が仲良く並んで人気の「刑事ドラマ」に見入っていたのに、終わったとたん拷問再開するあたりとか)さえ漂わせ、ゆるゆると伏線を張り巡らせてゆく。

そして後半、婦警がラジオのリクエスト曲と事件の符合に気づいたところから、ドラマは急速に走り出す。
やがて、犯人と目される青年があらわれ「今度こそ」と色めき立つ刑事たちだが、証拠は無い、ぬえのように得体の知れない青年は、取り調べの脅しにも屈しない。

この先はネタバレになってしまうので詳しくはいえないが、目の前で手がかりが消えて行く焦燥、怒り、絶望、それらをあざ笑うかのように再び起こる犯行…

「人を見る目には自信がある」はずのパク刑事も、「書類は嘘をつかない」と言っていたソ刑事も、自分の価値観が揺らぎ、崩壊していくのと向き合わなくてはならない。

犯罪が破壊するのは被害者だけじゃない、その周りにいて関わりを持つものも容赦なく巻き込まれ、壊れていく。だからこそ恐ろしいのだ。

雨のトンネルのシーンは、ちょっと最近例を見ないくらい緊張感に満ちた、名シーンだと思う。
黒澤明の「野良犬」を思い出させるようだ…と言っては褒め過ぎか。

十数年後、現場を再び訪れ、あることを聞かされたパクのありとあらゆる感情が入り混じったような表情(ソン・ガンホ名演)と、のどかな畑の風景の対比。
被害者の家族や関係者に深い傷を残した事件も、未だ逃げ仰せている犯人にとっては、懐かしい思い出にすぎない。その空しさと恐怖が迫ってくる。

傑作。

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