2002年 後半

鬼が来た

 もう観てから2ヶ月ぐらいたっているし、公開もとっくに終わってしまったのだけど、なるべく多くの人に観て欲しいので、いまだにちゃんと咀嚼しきれていないのだが、がんばって書いてみよう…

この映画をネタバレせずに書くことは困難なので、以下の文ではかなりネタバレしております。

御容赦を

第2次大戦中、中国の片田舎の農村に住むマーのもとにある夜「私」と名乗る男がやってきて麻袋を2つ預けていく「あとで取りに来るから」と言い残して。
麻袋の中身は花屋と言う日本兵とその通訳。
村人達はびっくりして、どうしたものかと相談するが預けていった男への恐怖から(これは見る人が見ると「八路軍=共産党」のことだとわかるらしい)仕方なく、面倒を見ることになる。
 
通訳が花屋の言葉を都合のいいように変えて訳したり、罵詈雑言を教えろと言った花屋に新年の挨拶を教えたり、農民達も皆、一筋縄ではいかない濃〜いキャラばっかりで、前半は笑いに満ちている。

ところが、いつまで経っても「私」は彼等を引き取りに来ない。
困った村人達は花屋達を始末してしまおうと考えるが、一度言葉をかわしてしまったものをそう簡単に殺せるはずもないのである。
花屋の方も彼等が、自分達の貴重な食料を削って自分達の面倒を見てくれていたのだとわかるにつれ、最初のかたくなな態度を変えていく。
このままハッピーエンドになるのかと思いきや…

この映画を見た人が、まず疑問に思うのは後半の悲劇の引き金を引く花屋の行動だろう。
これについてずっと考えていた。そうして思い当たったのは「個人」と「世間(集団と言い換えてもいい)」の関係だ。
連れてこられたばかりの花屋は、日本軍の一員として敵への憎しみと「生きて虜囚のはずかしめを受けず」の考えに縛られている。
だが、長く捕われているうちに、しだいに農家の三男坊としての「個」に立ち返っていったのだと思う。
だから貴重な食料をさいて自分達を養ってくれた農民たちへの感謝の念も生まれてくるし、普通に死にたくなんかないと言う感情だって湧いてくる。
ところが、元の軍隊に帰ってみれば、やはりそこを支配しているのは軍隊という世間の論理だ。
そこに個人の入る隙間はないのである。
ましてや、なんで生きて帰ってきたとまでいわれ、身の置きどころのない彼が、あのような行動に出てしまったのだと思うのだ。

 しかし、こうやって花屋の行動を読みといてみたところで、この映画を理解したことになんかならない。 
 隊長はなぜ、終戦を知っていながら虐殺を止めなかったのか。
 マーはなぜ、最後に笑ったのか。
 
 なぜ、なぜ、という疑問ばかりが浮かんで来るのは戦争そのものが不条理だからなのか…

 正直、我々の先祖の蛮行を見せられるのは気分のいいものではない。
これから、軍艦マーチを聞くたびにあのシーンが甦ってくることだろう。
だが、この映画は決してそれを描くことが目的なのではない、糾弾されているのは日本軍だけではないし(そのためか、中国ではいまだに上映禁止である)人間が集団として行ってしまうこと、その愚かしさ、それに翻弄される個人の哀しさを描いた傑作だ。

チョコレート


まず、タイトルだけど「チョコレート」っていうのはあんまりいい邦題じゃないと思う。
タイトルとアカデミー賞主演女優賞受賞に釣られて「ビューティフルマインド」みたいな感動作(?)と思って観に来たらしい私の隣のおばあさんは、二人の激しいぬれ場に、硬直してしまってました。
そんなシーン有るとは思わないよなぁ、この題じゃ。

閑話休題。

社会的にあまりいい位置にいるとは言えない二人の男女が、お互いの喪失感を埋めるように恋に落ちる、という話はわりと良く有る気がするが、
この映画はそこに人種問題をからめたところがミソなんだけど…

たしかに、ハンクは父親みたいなばりばりの人種差別主義者ではないのだと思う。

だけど、40数年間(息子の年令からの推定)何も言い返さずに従ってきたわけで、好むと好まざるとに関わらず、偏見は持っているはずだ。
息子との喧嘩を止めに入った黒人の同僚に「おれに触るな、このニガーめ!」と口走ってしまう所からもそう思えるのだけど。
それがいくらきっかけがあったとはいえ、そう簡単にその感情が払拭できるはずがなく、それなのに、黒人のハル・ベリーを好きになってしまったという葛藤みたいなものが、あまり伝わってこなかった。
単純に、偶然知り合った彼女にひとめぼれしてしまった、恋に不馴れな中年男の行動と見れば、微笑ましいと思わなくもないんだけどね。
そのへんがちょっと消化不良な感じがしました。

ハル・ベリーは熱演だけど、生活に疲れた役の割には綺麗すぎるような…
ビリー・ボブはちょっと「バーバー」と似た役柄だけど、その佇まいだけで心中を垣間見させるという感じはなかった。けど、これは演出力の問題か。

で、またタイトルの話に戻るけど、原題は「Monster's Ball」映画の中の説明では死刑執行の前夜に行われるパーティーのことだそうだ。
だとすれば、死すべき定めの人間たちの生そのものがそのパーティのようなもの、という意味かと思ったのだけど、考え過ぎ?

 

ダスト

人はなぜ、物語を必要とするのかについての物語。
現代のニューヨークと19世紀末のマケドニアを対比させるというアイデアは面白いけど、あまり成功してるようには思えない。
老女の話を聞く黒人青年と悪徳警官の話はいらなかったのでは?
デビット・ウェンハム(またもやオージー俳優注目の星?次回作は「指輪」のファラミアだって)とジョセフ・ファインズのカインとアベルのような兄弟の物語は魅力的。

マケドニアの風景を捉えたカメラも良い。
語り手の婆さん(ローズマリ・マーフィー)の存在感も素晴らしいんだけど
全体としてはもう一つ何か足りないような…上手く言えないけど


怪盗ブラックタイガー

ストーリーも登場人物たちも、色彩も画面の作り方もどう観たってリアルとは程遠いんだから、もっとそれに徹して欲しかった。
なぜか銃撃戦のシーンだけ、もげた腕が飛んできたりするのはちょっとなぁ。

あそこだけ生々しいのはいかんでしょ。
何しろ日本には日活の無国籍アクションやら、「愛の嵐」やら「真珠夫人」があるので、吹っ切れ方が足りないと思ってしまうのよ。

 

プレッジ

定年退職の日、少女の殺人事件に出会った刑事が母親との「必ず犯人を捕まえる」との約束(プレッジ)に捕われていく…
なんと言っても、ジャック・ニコルソンの入魂の演技が見もの。
悠々自適の生活のはずだったのに、一つの約束に捕われ、静かに狂っていく様子を圧倒的な存在感で見せる。
それだけの演技を引き出したショーン・ペンの演出力も大したものだと思う。
ただ、後味はあんまり良くないけど。

天国の口、終わりの楽園

よくあるひと夏の体験ものと言ってしまえばそれまでなんだけど…
私がイルサの立場だったら、やっぱりあのエネルギーを感じたいと思ってしまうだろうな。特にあんなに可愛い男の子たちなら。
まだ限界を知らない若さって愚かだけど、眩しいなぁ、輝いてるなぁと、もう若くない私は思うのでした。
全編に渡って裸とSEXのオンパレードだけど、少しも淫微に感じたりしないのは生と性が結びついているラテンの国ならではか。
それなのに冒頭、画面の半分(大袈裟じゃなく本当にそうなのよ)をぼかしで覆い台無しにした映倫はほんとに馬鹿!
裸ばっかりじゃなく、旅の途中に映し出されるメキシコの風景やエピソードも、とても印象的。
ときにハレーションを起こす程の強い日ざしや、土埃までもがこの国のエネルギーを感じさせるようで。
一抹の寂しさの残るラストも、余韻があって好き。始まりの時とまるで違う少年たちの表情が良い。

やっぱりガエル君は可愛いなぁ。。


オースティン・パワーズ ゴールドメンバー

シリーズも3作め、今回は個々のネタは面白いんだけど、全体としてはまとまりに欠けてしまった気がするなぁ。
オープニングの大ネタが凄かったので、よけいにそう感じてしまうのかも。
この大ネタに関してはとにかく、まだ観てない人はあらゆるものから目と耳を守って、情報を入れずに見ることをお勧めします。
あのシーンだけでもお金を払って観る価値はアリです。
バカなマスコミは競うようにネタばらしに走っていて、ファンからは顰蹙を買いまくっているんだけど、すべてのカメオ出演者をばらしたお○ぎさえネイサン・レインのことを無視しているのはなぜなんだ?
まさか、気がついてないんじゃないでしょうね!?(この人だけノン・クレジットなので)
私的にはこの人の出演シーンが一番お気に入りです。

この映画のサー・マイケル・ケインは「サイダーハウス・ルール」や「ジョーズ4」の人じゃなくて「アルフィー」や「ミニミニ大作戦」のマイケル・ケインなわけでまさにシリーズの締めくくり(だよね?)にふさわしい貫禄でした。

他にも映画ネタがたくさんあってimdbには関連作品として40本以上の映画がリストアップされてるんですけど、まぢですか?
半分もわからなかったんですけど…

ああ、それにしても、なんで化膿姉妹はあの役受けなかったんだろう〜
演っていたら物凄く尊敬したのに(私に尊敬されても一銭にもならないが)

こんなふうに人の感想読むより、友達とあれ可笑しかったよね〜とか言い合うのが楽しいと思います。(だから感想書きづらい…と言い訳)

イン・ザ・ベッドルーム

実に緻密に練り上げられた物語である。

医師のマットと音楽教師ルースの間のひとり息子フランク。

その交際相手の人妻ナタリー、その夫。 
フランクを中心とした三角関係。
それは始めから崩壊の予兆を孕んだ微妙な関係だ。
「一つの仕掛けには3匹以上のエビを入れてはいけない」との台詞通りに、その中心が欠けた時、また新たな三角関係が生まれ、緊張関係が登場してくる。

その関係の変化が、時に息苦しくなる程の綿密な描写と素晴らしい役者の演技によって語られていく過程が、まさにサスペンスそのものである。
特に、夫婦が互いの感情を爆発させるところの二人の演技は圧巻。
マリサ・トメイが芸達者の二人を相手に、見劣りしない見事な演技で復活しているのも、彼女が好きな私としては嬉しいところだ。

 追い詰められた夫婦が行き着く先はある程度予想がつくのだが、映画の様々な箇所になにげなく散りばめられた伏線が一つの全体像に収束していく様は、たまらなくスリリングだ。

ただ(ここからネタバレ)リベラルな中産階級であるはずの主人公が、結局は銃による解決を選び、実行出来てしまうというところに違和感を感じてしまった。
これが、C・ブロンソンが主人公の映画ならそんなこと思わないのだろうけれど。


とはいうものの、近頃数少ない骨太な大人の映画であることは間違いない。

 

エブリバディ・フェイマス

歌手を目指す娘と、それを応援する度が過ぎて鬱陶しがられている父親。

会社もリストラされ、ひょんなことから人気歌手を誘拐することになってしまった彼が、お金の代わりに要求したことは…
あまりに強引な展開にはっきり言って「んな、バカな!」と突っ込みたくなる部分が多々あるけれど、父親が娘を思う気持ち、それを支えに自分に自信を持つことが出来た娘の姿に「まあ、いいか」と思ってしまった。
映画の鍵を握る「ラッキー・マヌエロ」と言う曲が良いね。
それにしても、あのマネージャーうさんくさすぎ…

ウィンドトーカーズ

ジョン・ウーといえば白い鳩、二丁拳銃、サングラス、風になびくコート、そして何より、熱い男たちである。
今回、鳩は飛ばないらしいとは聞いてたけれど、ここまでジョン・ウーらしさがないなんて…別に鳩にこだわってるわけじゃないが。
主人公を腑抜けた表情しか出来ないニコラス・ケイジじゃなくナバホの青年の側にしていれば、もっと熱いドラマになったはずなのに…
何しろ、ケイジがず〜っと眉間にしわ寄せてるだけなので、内面の苦悩とかを感じられず、ひじょーに中途半端なドラマになってしまいました。
まあ、日本軍の描写については所詮ハリウッド映画だし言うだけ野暮かとも思うんだけど、身内にあの当時サイパンに住んでた人間もいるしあんまりいい気持ちはしなかったとだけ。
ナバホの青年を演じたアダム・ビーチは良かった。
クリスチャン・スレーターもあんな使われ方するようになってしまったのね…(しみじみ)
 
ああ、それにしてもニコラス・ケイジよ…演技の為にゴキブリまで喰った君がどうして○・フォードのような省エネ演技になってしまったんだい?
誰か!シェールでも、ホリー・ハンターでもいいから一度ひっぱたいて目を覚まさしてやっておくれ。元ファンからのお願い。

 

ズーランダー


ベン・スティラー、私はとても好きなのですが、日本での知名度がいまいちのせいか(チューハイのCMにだって出たのに〜)銀座シネパトスでの単館という寂しい公開。くぅ〜っ
でも、ほんとに面白いのに、もったいない。

ベンの場合、顔はまあ好みにもよるけどなかなかハンサム、体も意外にマッチョ系だったりするのですが、いかんせん、背が低い…
公称173?(実際はもっと低いと思う)の彼がいかにもな服を着て、キメキメのポーズとるたびに思わず、プッと吹き出してしまいます。
彼の得意な物まね芸と、いつもの自意識過剰キャラの複合体で、これ最強。
 
それにオーウェン・ウィルソン、「エネミーライン」でさんざん悪口を書いてごめんよ。

映画がダメだと俳優もダメに見えるものなのよ。
そのダメ映画とは打って代わって、もう立ってるだけで内側からバカが滲み出てくるような見事なバカっぷり。(褒めてる)

とにかくこれでもか、というバカなギャグのてんこもり。
それも主に「モデルはバカ」と言うことをネタにしたことばかり。
にもかかわらず、ファッション業界を含む、セレブのカメオ出演が30人以上、だそう。
みんな、余裕があるわ、大人だわ。(腹の中は知らないけど)
なんと言っても一番笑ったのは、とある大物ミュージシャン。
さすが芸暦長いだけのことはあり、わかってらっしゃる。

あと、ミラ・ジョボビッチとクリスティン・テイラー(ベンの奥さん)の女同士の対決も大笑い。…なんですが、じつは私、ミラの事を最初から最後までこの人と間違えてました。
エンドクレジットで、ん?ミラなんて出てたっけ…って

他にも、ウィル・フェレル、ジェリー・スティラー(ベンのパパ)などなど、どの人も適材適所で笑わせてくれます。

で、そういうギャグを入れこみつつも、映画としてのストーリーラインがきっちり押さえられてるところがこの映画の凄いところ。
実は、デレクが父との確執を乗り越え、本当の友情と愛を見つける物語…
いや、ほんとだって…たぶん。
 
現代の話なのに、音楽が80年代の物ばかりって言うのもなぜ?と思うけどこれがまた嵌まってます。
ちょっと前まであの辺りの音楽って、何となく好きと言うのが恥ずかしいような感じだったのに、いい具合に時間が経って発酵したせいなのか、おっイイね〜と思ってしまいました。
とくに「Relax」の使われ方といったら…

正直、コメディアン、俳優としてのベンは好きだけど、監督としての評価は「保留」だったのですが、これにもおっきな花丸印ってことで。
 
スタバのオレンジモカフラペチーノ、飲みたい…メニューに入れてくれないかなぁ
あと、Macにファイル保存する時は気をつけようっと。。

 

インソムニア

予告を見てサイコスリラーを期待していったら、じつは心理サスペンスだった…という、宣伝の仕方はどうなのよ?な作品
眠れない原因は、犯罪の異常さじゃなくて己の心の葛藤だったのね。
アル・パチーノの、内面の深い懊悩を感じさせる表情が秀逸。
ロビン・ウィリアムスは、表面好い人そうだけど、内心何考えてるかわからないDV(ドメスティック・バイオレンス)な男がぴったりだった。
ヒラリー・スワンクは際物っぽい役じゃなくて、普通の初々しい女性の役をやっても上手なことがよくわかる。
この3人の演技がバランス良く噛み合って、ドラマに深みを与えている。
アル・パチーノの心象風景のような、アラスカの風景を捉えた映像や、冷たい色合いも印象的。
ラストは、あれがギリギリのところだろうなぁ。
もっとブラックな終わり方だと言う、元の映画を見てみたい。



チェンジング・レーン

何しろベン・アフレックに、全く感情移入できないのが致命的。
エリート意識に凝り固まった嫌なやつが、過去に失敗はしたけれど、真面目に立ち直ろうとしている男(サミュエル・L・ジャクソンだけど、こっちのポスターと激似なので、モーガン・フリーマンと間違えてた)の人生をめちゃくちゃにする、というイヤ〜〜〜な話。
最後で辻褄合わせをしたつもりだろうが、あんなもので騙されてたまるか。
こんな下らない映画を拡大公開するくらいなら「ズーランダー」をその片隅でもいいから掛けてくれよと思う。(会社同じだし)
これを見ると、住基ネットってものがなぜ危険か?その理由がよくわかったりする。

 

アバウト・ア・ボーイ

38才で、親の遺産で暮らしていて、独身、デートする相手には不自由しないけれど、責任感ゼロのちゃらんぽらんな男、なんて一歩間違えば凄くヤな奴になりそうなのに、ヒュー・グラントがやると可愛くさえ思えるから不思議だ。
そんな子供っぽいヒュー・グラントと対照的に大人びた子役があんまり可愛くない(映画観ているうちに可愛くなってくるんだけど)のがバランスが良くてGood

ストーリーはありがちだけどテンポ良くまとまってるし、まずまず楽しく観たのだけれど、ラストがちんまりと教訓めいてまとまってしまったのが残念。

トニ・コレットは精神の不安定なシングルマザーって役ばっかりだ…

モンスーン・ウエディング

結婚式の主役である娘の不倫話(とそれに伴うすったもんだ)にはあんまり興味が持てなかった。
たぶん、インド女性としては相当大胆なのだろうと思うけど、そう目新しい話でもないし。
それよりも、結婚コーディネーターの男(なぜ始終花を喰ってる?)と使用人の娘の古典的だけど、慎ましやかな恋の方が印象的だった。
男の顔に似合わないロマンチストぶりがおかしくて、ほほえましくて。

結婚式の為に集まった家族たちにもそれぞれいろんな事が起こるのだけれど、ちょっと人数が多すぎて描ききれてないところがあると思った。
結婚式の直前のあれって、あまりに唐突すぎやしないか?
演じてる役者さんがD・サザーランド似なので、思わず納得してしまう
んだけど。(ネタバレぎみ)

最後は、歌と踊りで締めくくりというのはやはりインドらしい。

 

ザ・ロイヤルテネンバウムズ

2度観て、全く同じところで泣いてしまった。

その場面はと言えば、ロイヤルとチャスの子供達がチャスの目を盗んで街へ出かけ、いろいろいたずらをするところが前半にあるのだが(ここがこの映画でも最も好きなシーンだ。ポール・サイモンの「僕とフリオと校庭で」が最高)映画のラスト近くで同じシーンが繰り返される、ただし、今度はチャスと一緒に。

別に悲しいわけじゃなくて、思わず笑ってしまうシーンなのだけど、それと同時になぜだか涙が溢れてきてしまうのだ。

かつて天才児だったテネンバウム家の子供達は、大人になれないまま自分達の殻の中に閉じこもっている。(服装も彼らの鎧だ)

彼らは一様にシニカルで無表情だけれど、決して無感情なわけではない。
その内側には、繊細で、真摯な感情が隠されているのだ。
ただ、それを外へ出さないので、時に行動が、突飛に見えたり、ずれた笑いを提供したりするのだが、彼らはあくまで真剣だ。ただ、わずかな表情、何気ない、でも繊細に練られた台詞のみが、彼らの内面を語っている。(私は少し、カウリスマキの映画の登場人物たちを思い出した)

彼らの対極にいるのが、父ロイヤル・テネンバウムである。
自分の身勝手さによって、家庭を崩壊させ、子供達に傷を与えた彼は、またもや自分の身勝手さによって、今度は家族を再生させようと企む。
彼は徹頭徹尾わがままで、それをまた、ジーン・ハックマンが実にチャーミングに演じているのだけれど、それに子供達はあっちこっち振り回される。
そうやって振り回されているうちに、彼らが閉じこもっていた殻に穴が開きはじめ、いやがおうでも自分の問題に向きあわざるを得なくなるのだ。

ただ、彼らは急に家族意識に目覚めたり、大人になったりするわけじゃない。
そんな事は実人生ではめったに起こる事じゃないからだ。
ほんの少し、前に進んでみる気になっただけ。
その結果ロイヤルとチャスの間に成された、ささやかな和解に、思わず涙が溢れてしまったのだと思った。(あ〜やっと話が繋がった)

伏線は回収されないし、話もあっちこっちとっ散らかったままだし、何か良く出来たお話、笑える話、あるいは、オシャレな映画を期待した人には肩透かしかもしれない。
それでも私がこの映画を好きなのは、この不器用な人々に監督が等しく愛を注いでいて、どのキャラクターも好きにならずにいられないから。(そう、あのグィネスでさえも。この映画の彼女は素晴らしい!)
そして何よりも、生きるという事に対処する困難さを、それを和らげようとする努力を知っているからだ。

歪んでいても、不器用でも、身勝手でも、それでも人生は続く。
人はそう簡単に変わるわけじゃないけれど、人生にほんの少しだけ微笑んでみたなら、同じように微笑みが返ってくるのかも知れない。
そう、バカボンのパパ(日本の天才一家ね)の言った通り
「これでいいのだ!」

ドニー・ダーコ

中学生くらいの時、世界が終わると思ってたよなぁ…
そのころに観てればハマってたかも。
途中、意味不明なところがたくさんあったのは演出のせいか、私の頭が悪いのか…?
真っ暗な青春もある…だから、この暗さはそう嫌いじゃない。
最後、愛する彼女を救うために自分が犠牲になることを選んだドニーの心情はちょっと切ないね。

あと、インチキ自己啓発セミナーの講師役のパトリック・スウェイジは嵌まりすぎ…



ディナーラッシュ

厨房の様子が「キッチン・コンフィデンシャル」と言う本を思い出させるなぁと思ったら、やっぱり売店で売っていた…
レストランに集う人間模様。
出てくる料理と同じで見た目は良いけど味わいは薄そう…と思っていたら隅で、ミートボールスパゲッティを食べていた(これが唯一美味しそうだった!)ダニー・アイエロがどっしりとした存在感を示してくれました。

クイズ好きのバーテンは先日亡くなったリチャード・ハリスの息子だそう。
あんまり似てない。

 

サイン

いや、たとえばこれがロジャー・コーマンプロの作品だったりしたら隠れた傑作として賞賛されたのではないかと思うんである。
世間の酷評は主に、アレが出てきた時の腰砕け感によるものでしょう。
煽るだけ煽ってこれかい!という。

一応テーマは信仰を無くした元牧師が、数々のサインを体験する事で信仰を取り戻す…てことなんだと思うんだけど、そもそもシャマランはキリスト教徒じゃないんじゃ……?
いや、インドにもキリスト教徒は居ると思うんだけど、シャマランがその数少ないうちの一人かどうかは知らない。

しかしながら、私はけっこうこの映画を楽しみました。
見せ物小屋でインチキと分かっていてもついつい口上に惹かれて入ってしまい、出てきたものが「6尺のおおいたち」でも、その強引さが何となく憎めないように。
特に口上の部分はすごく上手く出来てると思うんですよ、この映画は。
アレが出てくるまでの緊張感は、あまりに重厚感があるので時々眠気に襲われたりしたのですが、そのたびにきちんと目覚ましがついていると言う(笑)
このなんとも言えない愛嬌はどこから来ているかと言えば、これは絶対、ホアキン・フェニックスのおかげです。
アレをかぶるホアキン、アレの映像を見ておびえるホアキン、「テリヤキチキン!」、メルに強引に抱き寄せられるホアキン、アレをアレでアレするホアキン……
(観た方はアレの部分を脳内補完してお読みください)
いや、もうほんとに彼がいなかったら、こんなに楽しい映画になったかどうか疑問だわ。
実は、ホアキンの役はMark Ruffaloという人が病気で降板したため、彼に回ってきたらしい(imdbによれば)
Markには悪いけど、まさに何かのサインだったのかも。

とにかく、こういう山師っぽい人って最近のハリウッドでは貴重な人材だと思うので、変に賢くなったりせずに、このまま突っ走ってもらいたい。
取りあえず次回作(「アンブレイカブル2」ってほんと?)は3D映画なんてどうかしら?

(ヒッチコックも「ダイヤルMを廻せ!」でやってるしさ)
配給は東宝東和ってことで、ひとつよろしく。

 

アマデウス/ディレクターズカット版

初めて観たのは、初公開時だからもう17年ぶりになるのだろうか。
まだ、学生だった私は天才と凡人の相克と言うテーマは漠然と感じたし面白いと思いもしたのだけれど、そう深く心に残る作品とは思わなかった。
今回、ある程度年をとって、自分がこのまま何も残さず、何にもならず消えていくのだと

実感するようになって改めてこの作品に接した時、サリエリが、モーツァルトの音楽を賞賛する気持ち、その才能が自分ではなく彼に与えられたのだと知った時の憎しみに引き裂かれる感情の叫びが、実感として深く心に突き刺さった。
以前はモーツァルトとサリエリ、二人の比重は同じぐらいだったように思っていたが、これはまさしくサリエリの物語なのだ。
主役の二人はもちろん、傍役、衣装、美術に至るまで、すべてが一級品。
(クラシックは門外漢の私にさえ、才能の違いを解らせてしまうオペラシーンの凄さよ!)
まさに名作と呼ぶにふさわしい作品。
17年の歳月を経て、テアトルタイムズスクエア(旧アイマックスシアター)という、大画面と立派な音響システムを持った映画館で観る機会を得た事を幸せに思う。

SUPER8

私の生涯ベスト1映画はと聞かれたら10回中7回ぐらいは「アンダーグラウンド」と答えると思う。
その監督エミール・クストリッツァは映画を撮っていない時はミュージシャンとして活動しているのだそうで…
そのクストリッツァの所属するバンド‘No Smorking Orchestra’のツアーの様子を記録したのが、この映画。
正直、クストリッツァの映画を1本も見たことない人がこれを観て楽しめるかどうかは疑問だけど、ファンならば見逃せない作品。
まず、クストリッツァ本人が、映画から想像した通りのとんでもなくキャラの濃いオヤジだった。
やたらと「It's a biggining of our beautiful friendship」(もちろん「カサブランカ」)を連発し(「黒猫/白猫」を観た人はニヤッとするはず)
息子(バンドのドラマー、デカい!)とじゃれあって喧嘩してシャツ破ってるし…
それに負けず劣らず、他のメンバーも強烈。
彼らの持つ、家族よりも濃い絆みたいなものが羨ましい。
祖国が消滅した彼らには(クストリッツァは自分のことをユーゴスラヴィア人だと言う)仲間のつながりだけが確かなものなんだろうか?
ライブに集まるファンはほとんどがクストリッツァのファンらしくどこも超満員。
ロックやらジプシー音楽等々をごった煮にした音楽はパワフルで楽しい
けれど、やはりゴラン・ブレゴヴィッチ(「アンダーグラウンド」の音楽)の破壊力には及ばないんだよねぇ…
もう一度「クストリッツァ=ブレゴビッチ」の映画が観たいなぁ。
ちなみに「SUPER8」のタイトルは映画中挿入されるメンバーのプライベートフィルムがSUPER8で撮られてるからだそう。

 

ガーゴイル

いやぁ、久々にやっちまいました。
ギャロとベアトリス・ダルの組み合わせって面白そうって思ったんだけどなぁ…
パリへ新婚旅行へやって来たギャロ、だけどなぜか彼は新妻を抱こうとしない。
じつは彼は以前研究していた薬のせいで、セックスの最中に非常に暴力的になる奇病に掛かっていたのでした…
ということで、欲求不満の新妻とギャロがお互いに悶々とする様を延々見せられます。
そんな病気があるのに、なぜ結婚なんかするんだ!ギャロよ!
じつは、その薬は友人のフランス人医師からギャロが盗んだもので、彼の妻であるB・ダルも同じ病に。
こちらは、夜な夜な閉じ込められた家から抜け出しては、そのへんで男を拾い欲望を満たすと、その旦那が捜しに来て後始末…の繰り返し。
要は男と女の性の違いを見せたいようなのですが、ストーリーそのものがひじょーに解りづらい上、テンポもたるいので、だんだんイライラ…
それでも、ギャロとB・ダルが出会えば話が動くに違いないと我慢しつつとうとうそのシーンが!しか〜し、えっ、こんだけなのぉぉぉ…………
もうその時点で既にギブアップぎみ。
で、その後ギャロのアレなシーンは暗くてよく解らんかったので助かった〜
と思いつつ、で、どうなるの?
え?それでお終い??????マジですか?
性の深淵?愛と欲望の葛藤?そんなもの、何にも伝わって来ず、帰り道「だからフランス人って……」と思わず呟いたのでした。
久々に見たベアトリス・ダル、以前は危ういところで‘可愛い’のカテゴリに入っていた顔が‘恐い’方向へメーター振り切れてました。

 

酔っぱらった馬の時間

イランの、イラクとの国境近くに住むクルド人の一家。
母親はすでに亡く、障害を持つ長男を抱え、暮らしは貧しく11才のアヨブも市場で働いている。
ある日、父親が仕事中に地雷を踏んで亡くなってしまった。
長男のマディは手術を受けないと病気が悪化して死んでしまう。
一家の暮らしはアヨブの肩に掛かって来るが、まだ少年の彼にできる仕事は限られているのだ…
こうやってストーリーを書くと、いかにもお涙ちょうだいの可哀想な一家の話に見えるかも知れないが、とんでもない。
彼らは自分達の運命を嘆いたり、誰かを恨んだりする事もない。
ただ、あるがままに受け入れ、黙々と自分達のできる事をするのだ。
彼らの瞳には、安易な同情など寄せつけない崇高な光が宿っている。
一家を支えているのは、強く結ばれた家族の絆、取り分け、長男のマディに彼らは無償の愛を注ぐ。
たとえ手術したとしても、あと何年も生きられない事を知っていて、それでも必死に手術代を稼ごうとするのだ。
物質的には豊かな我々が、ともすれば見失いそうになる確かなものを彼らは持っているように思えてならない。
マディに、何度も何度もキスをする妹のアーマネ。
手術費用のために嫁入りする長女のロジーン(結局無駄になるのだが)が、何度も振り返りながら連れていかれる姿。
嫁ぎ先の女たちに邪魔者と置き去りにされ、雪の中に所在なげに佇むマディ。
そして、手術費用を得るためにラバを連れてアヨブが雪山を超えていくその姿…
厳しく、美しいシーンの数々が胸を打つ力強い作品。


※タイトルの「酔っぱらった馬」とは雪山の寒さに耐えさせるため
 馬(実際はラバ)に酒を飲ませるのだそう。

 

ロード・トゥ・パーディション

う〜ん、困った。じつはこれを観たのは一ヶ月ぐらい前なのですが、書く事が思い浮かばないまま、記憶から薄れていくのが早くて…
あれですよ、外見もそう悪くなく、性格も良くて周りからの評判もそこそこで、一緒に居ても退屈ではない男の人がいたとして、そんならつきあえば良いじゃんと言われて「でも、心がときめかないの〜」と言ってしまうようなそんな感じ。(どんな感じだよ)
なんかね、映画としてのつくりが端整に過ぎるんじゃないかと思うわけです。
最初から最後まで、きっちり定石を踏まえて破綻なく作られてしまうと、こちらの思い入れの余地がないと言うか、なんと言うか、う〜ん映画って難しい。
トム・ハンクスの初の悪役と言われてたんですが、結局悪役じゃないし。
もう少し、組織の一員としての顔と家族に見せる顔のギャップがあったほうが良かった。
あと、いくらなんでもリバウンドのしすぎではないんでしょうか…
ジュード・ロウ、確かに汚れキャラ目立ってはいるんだけど、結局このキャラクターってトム・ハンクスの陰画だと思うんです。
「おれとお前は一緒だろ?」と問いかけてくる役なわけで、それならもうちょっと、突っ込んで描いても良かったかなぁと。(「バットマン・リターンズ」のペンギンみたいに)
そんな中、ポール・ニューマンの出演シーンだけはぴりっと引き締まって見えるから不思議なものです。
演技力だけなら、トム・ハンクスだって負けてはいないと思うんですが、もうまるっきり発するオーラが違うみたい。
二人の雨の中の対決シーンは見応えがありました。

子供を持つ人が観れば、見方が変わるのかなぁと思ったりもするのですけどね…

 

ダーク・ブルー

「パール・ハーバー」にストーリーをパクられたとかいう噂のある本作ですが、こちらのほうが、遥かに深い人間洞察とテーマを持った作品だと思います。(いや「パール・ハーバー」見てないんだけどね)
第二時大戦中、チェコの空軍兵士達はナチに占領された祖国を逃れて、イギリス空軍に参加し、戦ったのだとか。
そして終戦後、祖国に戻った彼らは共産主義政権によって裏切り者として強制収容所に入れられるという皮肉な運命を辿る事になった…とは、この映画で初めて知りました。
映画は、強制収容所に入れられた現在のフランタとイギリスに居た時の仲間、特に親友のカレルとの友情とが交互に語られていきます。
祖国を離れて戦うというのだから、さぞや悲壮な覚悟で来ているのだろうと思いきや、意外に楽しそうな日常で拍子抜けだったりしますが、戦争の中の日常と言うのは実際はこんなものなのかも知れません。
死と隣り合わせだからこそ、普段は明るくしようというような。
長年、大国に翻弄され続けた国の人々だけが持つ諦念とそこから生まれる不思議なユーモアが、登場人物達の描き方に現れているような気がします。

戦闘シーンは迫力があるというよりは、実際は、そんなにバカバカ弾打ち合ったり、大爆発が起きたりせずに、くしゃっと潰れるように壊れていくもんなんだろうなぁ(知らんけど)と思わせるもので、リアルだし、美しいと思いました。

二人が取り合う女性がタラ・フィッツジェラルドってのはどうなの?とか、主人公が何考えてるのか、よく解らないと思ったりもするのだけれど、ラストの天上の光の美しさ、すべてを失って、なおも希望を見い出すかのような、フランタの表情は深く心に残ります。


追記:最近、犬が受難にあう映画が多かったのですが(テネンバウムズとか)
   これは別の意味で犬好きは涙なくして見られないシーンが。

 

ザ・リング

私は、日本版も人が言う程恐いとは思わなかったのだけど、(さすがに最後は飛び上がったが)このリメイク版は全く恐くないんだ、これが。
かなり忠実に元の映画をなぞっているし、変更を加えた部分も全体の雰囲気をぶちこわしにするようなものではない。
映像面でも懸命に湿度の高さを演出しようと頑張っていると思う。
(でも数十年放置されてた井戸に苔の一つも生えてないのはどういう事?)
ハリウッドにしては珍しく原本に敬意を払っていると言っていい。

だけど、だ。
なによりもまず、呪いのビデオが全然恐くない。出来が良すぎて何かのインスタレーションみたいに見える。
後から、映ってるものの意味が一つ一つ解明されちゃうのも興醒め。
高山竜二にあたる(日本版では真田広之)役の性格が中途半端に丸くなっているのもいただけない。
神仏を恐れない、人を人とも思わない人間があの恐怖を味わうってところに意味があると思うのに。
そして、サマラ…そんなに見せたら最後のシーンが〜
全体に見せすぎ、スジが通りすぎなんだと思う。
アメリカ人には、理由もなく、とにかくただ呪われるというのが感覚として理解できなかったのじゃないだろうか。


8人の女たち

これはあれですよ「忠臣蔵」ですよ。
いや、ストーリーがじゃなくて、若手から超ベテランまでスターを取り揃えしかもそれぞれの見せ場もきちんと用意されてて、色とりどりの衣装で目にも楽しく、古典的だけど飽きないお話が展開されるという意味でね。
あちこちでクラシック映画の引用なんて書かれているけれど、そんな事知らなくても楽しめると思います。
書いてる人たちの80%はダグラス・サークなんて見たことないと思うし。
ドヌーブとファニー・アルダンは貫禄たっぷりだし、イザベル・ユペールはやっぱり上手い
エマニュエル・ベアールはコケティッシュな魅力と曲者ぶりを発揮して、若手の二人は清新な魅力を発散させるかと思えば、ダニエル・ダリュー(まだ生きてたのね)は余裕綽々と、この我の強そうな女優達を見事コントロールしてみせた監督の力量も感じます。

やはり、フランソワ・オゾンならではの意地悪さも発揮されてて見終わった後はやっぱり女は恐い、そしてちょっぴり哀しいと思うのでした。

スパイダー・パニック

ここまでB級に徹してくれればいっそ小気味よいというもの。
わざと昔の映画っぽくしているフィルムの色といい、パニック映画の定石を踏まえた展開といい、この監督は確信犯的にB級映画を造ろうとして、成功してると思う。
なにしろ、変な教訓やら、ヒューマニズムのかけらもないところが素晴らしい。
ただただ、巨大化した蜘蛛と人間の戦いだけで押し切ってしまう。
一応筋らしきものはあるけれど、もう本当にお約束な人物にお約束な展開で嬉しくなってくるくらい。
デビット・アークエットがまたこの安い雰囲気にぴったりだったりする。(一応褒めてるつもり)
ところどころちりばめられた、過去の映画をもじった小ネタも嫌みがないし。
せわしない年末の息抜きに、弛みきったお正月の気分に、頭をからっぽにして観るのにはおすすめ。


そして、これほどシネパトスに似合う映画もないと思ったりして

 

ゴスフォード・パーク

あるお屋敷に集った人々がいて、そこで殺人事件が起こる、というのは「8人の女たち」といっしょだけど(こういう設定はやりなのか?)こちらはそこに召使い達が加わると、アルトマンお得意の群像劇になる。
一度見ただけでは覚えきれない程の登場人物をさばき、貴族の社会と使用人の社会、二つの社会を行き来しながら上流社会の虚実を描き出す。
ただ、肝心の殺人事件はなかなか起きないし、秘密ってのもあっさり判ってしまうので、ミステリーとしてはあんまり盛り上がらない。
会話と役者の演技を楽しむ映画だと思う。
前半の何気ない会話や行動が、後半じわじわと効いてくるのはさすが。
マギー・スミスの意地悪婆さんぶりが楽しく、ヘレン・ミレンが上手いのはもちろんだけどライアン・フィリップは綺麗すぎる顔だちが災いして今一つ役に恵まれないだけに、この映画ではいい役を得て演技力を証明して見せてるのが嬉しい。
(妻がリーズ・ウィザースプーンというだけで、座ぶとん一枚あげたいので)

それにしても、よくもまぁこんなに英国!と言う役者ばかり揃えたものだ。
あんまりいかにもすぎて、しょせん外国人から見た‘英国’だよなぁ、と思わない事もないのだけど。

マイノリティ・リポート

この映画の最大の欠点は、トム・クルーズが自分が殺人を犯すと名指しされた時「ほんとにそうするかも知れない」とは微塵も思わない事。
自分に確信を持っている人間てのは、ディックの世界とは相容れない。
原作の事を考えずにSF版「逃亡者」だと思えば、追いかけっこの部分は見応えがあるし、未来世界の小道具(あのコンピューターとか、車とか)なども楽しい。
過去の映画の引用したいのもわかるし、お笑いにも挑戦しようという意欲も買うけど、普通そういうディテールって物語を膨らましてくれるはずなのに、その部分は部分で自己完結しちゃってるんだよねぇ。
だいたい、コリン・ファレルの役割って何?(可愛いけど)
犯罪者となった人間の認識コードがいつまでも有効なのは変じゃないの?
アガサがいなくなったぐらいで崩壊してしまうシステムって脆弱すぎないか?
キャストを見れば黒幕は一目瞭然だしょ?
こんなに穴だらけの脚本てあるのかというくらいの杜撰さで、未来は自分で選べるって言われても。
結局、強引にヒューマニズム(それもヤスいやつ)へ持っていくのが最近のスピルバーグの嫌なとこなのだった。

 

ストーリーテリング

トッド・ソロンズの映画に出てくる登場人物達はイタい。
「ウェルカム・ドールハウス」のドーンも「ハピネス」の三姉妹も、小児性愛者の医者も、いたずら電話男も、身近に居たらちょっと勘弁してと言いたくなるだろう。
ただどちらかと言えば前2作は、その登場人物達を突き放しながらも彼らに対する愛情が感じられたのに(何しろ、少年を強○出来るかどうかを手に汗握って応援させてしまうのだから!)対して、今回の視線は相当意地悪で、毒気は50%増量中って感じ。


「フィクション」の女子大生ヴァイはリベラルであると言う事に取り付かれて、‘障害者’の恋人と喧嘩した挙げ句、どう考えてもタダのろくでもない男に過ぎない大学教授(‘黒人’で過去に‘ピューリッツァ賞’を受賞している)にのこのこついて行ってしまう。
彼女の愚かさはわかりやすいので、まだこちらは平然としていられるけど。
「ノンフィクション」のユダヤ人家族は、ホロコーストの話題には敏感に反応するけれど、エクアドル人家政婦のお国の事情なんてものには、毛程も関心がない。
その欺瞞ゆえに悲劇が彼らを見舞うのだが、これを描いているソロンズ自身もユダヤ人だったりするわけで。
その一家の無気力な次男スクービーの日常を題材にドキュメンタリーを撮ろう
とするアマチュア監督(これもソロンズ自身を思わせる)のいささか、いやかなり恣意的に撮られたドキュメンタリー映像を見ながら「事実なんて物はそれが書かれた瞬間からすべてフィクションになる」という前半に出て来た台詞が効いて来るという仕掛け(監督は前半と後半に関連性はないと言っているけれど、それは嘘だと思う)で、自分自身の姿勢をも問うてみせるのだ。この人は。
彼らを自業自得だと嗤いながら(いや笑い事じゃないんだけど)何となく背筋が寒くなるのは、その視線が我々の方にも向いているからだったりする。

ラスト、スクービーの言葉には冷や水を浴びせられたような気持ちになる。
とっても居心地の悪〜い映画。
だけど、やっぱりこの監督からは目が離せない。

ギャング・オブ・ニューヨーク

なんといっても、ダニエル・デイ・ルイスが圧倒的に素晴らしい。
彼の演じるビル・ザ・ブッチャーという男。
粗野で、凶暴な支配者であり、なおかつ、ある種の優雅さと高潔さをも兼ね備えたカリスマチックな人物は恐ろしく魅力的で、彼の演技を観るためだけにもう一度観てもいいと思うくらい。
しかし、残念ながらこの映画の主役は彼ではなく、ディカプリオなのである。
ディカプリオは下手な俳優ではないと思うのだが、いかんせんこの役の場合は彼の童顔が災いしたようだ。
どんなにヒゲを生やし、眉間にしわを寄せてみせても、デイ・ルイスの圧倒的なカリスマの前には少々霞んで見えてしまう。
マーチン・スコセッシの演出もとても快調とは言いがたい。
最初の決闘シーンこそ素晴らしいが、後は話があっちへいったりこっちへ行ったり、視点が定まらないのが痛い。
おそらくは「あの日」を挟んだために、シンプルな復讐潭だったはずの映画に、様々な要素を盛り込もうとし過ぎたのではないだろうか。
ビル・ザ・ブッチャーを主役に、ひところは隆盛を極めながら、時代の変化についていけず 敗北する男の物語とかだったなら、あるいは、神父とビル、二人の父を持ち(あの関係は疑似親子と言っていい)それを乗り越える事で成長して行くアムステルダムの物語だったなら…そんな縦糸が一本通っていれば枝葉の部分(あの時代のニューヨークの混沌)ももっと活きてきたように思う。
クライマックスも、時代の大きな流れの前には個人の感情なんてちっぽけなものだ、と言いたかったのかも知れないけど、ドラマとしてはやっぱりあそこは、あれじゃあ…いかんですよ。
もしかしたら、ディレクターズカットは5時間ぐらいあって、それは凄い傑作かも知れない…と思わなくもないのだけれど。


余談:
ダニエル・デイ・ルイスはこの映画の時代の約10年後のNYを舞台にした「エイジ・オブ・イノセンス」で再び敗北する事になる。
ただし、武器は斧やナイフではなく、人々の視線、噂話、暗黙の掟が使われるのだが、それはまた、別の話。(へへ、一度使ってみたかったのよね)

 

キス・キス・バン・バン

「キス・キス・バン・バン」なんてふざけたタイトル、日本でテキトーにつけたタイトルかと思ってたけど、原題も同じでした。
「片手にピストル、心に花束♪」(そこのあなた、今思わず口ずさみましたね?)というわけですな。ナ〜イス!
引退を決意した殺し屋が、次の職業として見つけたのは、33年間親の過保護のために一歩も外に出た事のない男の子守り(?)をすること。
しかし、組織はそう簡単に足を洗わせてくれるはずもなく、命を狙われることに…
殺し屋フィリックスが、ステラン・スカルスガルト、世話をする事になる大人子供、ババがクリス・ペン。
何しろ長年、ハードボイルド小説から抜け出して来たようなライフスタイルを貫いて来たフィリックスと、外の世界を知らない無垢な子供のままのババ。
どう見ても噛み合いそうにない二人ですが、ババはフィリックスから大人の世界を(お酒はストレイト/ノーチェイサー、音楽はバリー・ホワイト!)そして、フィリックスは、ババと過ごすうちにかたくなに守って来た自分の世界(ある意味ババの子供部屋と同じ?)から抜け出して、人を、人生を愛する事を思い出していくのです。
ババの役、下手をしたら、やり過ぎて嫌味になってしまう役だと思うのですが、これが本当にそういう人にしか見えなくって、今まで悪役が多かったクリス・ペンの新たな一面を見た気がします。
末期癌でもうじき死ぬと言いながら、なかなか死なないフィリックスの父親、ダディ・ズー(またこの爺さんがいいんですよ、ほんとに)
妊娠を機に結婚を迫る恋人のシェリー。
フィリックスを尊敬する見習い殺し屋のジミー(相変わらず美味しいとこ持って行くポール・ベタニー)
そんな個性的な面々を彩りに、ハードボイルドとメルヘンが絶妙なバランスで同居する不思議な雰囲気に気持ち良くひたりながら、世界はつらい事、悲しい事があって、いろんな重荷もしょわなければいけないけれど、だからこそ人生は美しいんだと、そんな想いに駆られたりもしました。


この先はネタバレ


ただやっぱり、ババは死なせて欲しくなかった。
あそこだけが映画の中でバランスを欠いていると思いました。
あれはリアルすぎる。
死んだと思わせて、ラストはフィリックスとババの2組のカップルが海にいて、それぞれの子供を抱えてあのポーズで終わり、だったらよかったのに。
メルヘンはメルヘンで押し通してくれなければ。

と、不満もあるけれど、1年の締めくくり(大晦日に観た)がいい映画で本当に良かった。
ラウンジ系?(生半可な知識によれば)のテーマ曲もいい感じで、おすすめ。


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